爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

”賀茂川耕助のブログ”を読んで No.1224広がるポピュリズム

ポピュリズムとは、「大衆迎合主義」とも訳されるように、あまり好意的な意味では使われていません。

賀茂川耕助さんのブログでも、「トランプ氏が大統領になった頃から目にするようになった」としている通り、トランプがポピュリズムそのもののように言われています。

 

kamogawakosuke.infoただし、賀茂川さんの論点の面白いのは、ポピュリズムに対するものは何かということを評することです。

 

ポピュリズムに対抗する概念は「民主主義」、ただし、アメリカの民主主義は「金権主義」であるということです。

アメリカの選挙は金が無ければ戦えません。そして、その資金の最大のスポンサーは富裕層と、軍需産業につながる大企業であるということです。

選んでくれた有権者のためでなく、スポンサーの意に沿う政治ばかりをやってきたのがこれまでのアメリカの既成政党であるということです。

 

それにようやく疑いを持ち始めたアメリカの有権者たちは、その既成権力者層に対抗すると称しているトランプを支持した。

こういった動きはヨーロッパでも同様です。

移民排斥などの主張をする右翼政党が支持を伸ばしているのは、ポピュリズムかもしれませんが、それまでの政治権力は富裕層、大企業の代弁者であったのはアメリカ同様でした。

 

賀茂川さんの主張は、ポピュリズムを単に非難するということではありません。

表面では国民のためと言いながら、富裕層や大企業のための政治ばかりをしてきた既成政党への批判をしながらということです。

 

現在の日本の政治権力も、欧米に負けず劣らずの金権主義で、大企業のためだけの政治を続けています。

これに、いつ日本の有権者が気がつくのか。ポピュリズムの入り込む隙間も大きくなってきているようです。

 

「贅沢の条件」山田登世子著

著者はお年は書かれていませんが、フランス文化史が専門の大学教授、この本で「贅沢」について書こうと思いたち、周囲の人々に「あなたにとって”贅沢”とは」と聞いてみたそうです。

 

大学の学生さんなど、若い人たちは「贅沢」と聞いて値の張る服などの品物を好きなだけ買いたいということを思い浮かべることが多いのですが、著者の同年代のシニア世代や少し下の現役世代では、「ゆったりと流れる自分の時間」といった答えが多いそうです。

 

実は、このような贅沢というものの質的な変化は、各個人の年齢によって異なるとともに、社会全体としても変化してきているようです。

このような時代の流れ、贅沢の推移を、著者の専門のフランス文化史を通して見ていきます。

 

「富裕層は贅沢か」

現代ではその答えは様々になりそうですが、実はこの質問はすでに19世紀のフランスでもバルザックによって発せられました。

その当時は旧来の貴族層は没落する者も多く、代わりに成金が台頭してきていました。

成金が本当に贅沢をしているのか、没落したとは言え貴族が優雅に暮らしているのとどちらが贅沢かということを示しています。

 

それより少し前、17世紀のルイ14世の宮廷では、大貴族たちがきらびやかな宝石で飾り立てた衣装を身につけていました。

財務長官フーケの贅を尽くした館、それに対抗してより豪華に作られたヴェルサイユ宮殿などは、金を掛けることが贅沢であった当時の時代性を示しています。

その時代は、貴族は労働はせず、消費するだけが美徳であったのです。

 

しかし、革命期を過ぎ貴族が没落し、ブルジョワジーが台頭すると、彼らは働かずに浪費するわけにはいきませんでした。

銀行などの金融界を率いていたロスチャイルド家やペレール兄弟なども、着飾っているわけには行かず、黒い背広を着て仕事をしていたわけです。

 

そうなると、金を使うべき人々はそのブルジョワの男性陣ではなく、彼らの夫人、娘といった女性陣になります。

「有閑マダム」の登場です。

ブルジョワが制覇した世の中では、かつての貴族たちが華やかに装った装飾を、女性たちが受け継いだのでした。

そして、それは正式な妻ばかりでなく、高級娼婦や愛人達によっても盛り上げられていきました。

そのような、クルティザーヌと呼ばれる高級娼婦たちの作る世界は、ドゥミ・モンド(裏社交界)と呼ばれ、ベル・エポックの名物ともなりました。

彼女たちを彩る多くの宝石は何万フランもするものばかり、多くの男達から巻き上げて身を飾ったのでした。

 

しかし、現代に通じるファッションの世界を切り開いたココ・シャネルは、それとは全く違った方向に向きます。

シャネルは女性にもスーツを着せようとしたようです。それは、女性たちもビジネスに向かっていった時代にふさわしいものでした。

その源流はシャネル自身が育った、フランスリムーザン地方の修道院にあったようです。

 

現代では、かつての修道院や農家が中身だけを改装して優雅で高級なホテルとして生まれ変わっています。

著者は、別荘を探しているふりをして、古民家の売り物を見てみたのですが、ある程度の大きさで程度の良いかつての農家の建物が、数億円の価値があると聞きました。

そういった建物に手を入れ、優雅に暮らす生活が本当の贅沢と感じるのがフランスの価値観のようです。

 

贅沢の条件 (岩波新書)

贅沢の条件 (岩波新書)

 

 金などまったく縁がない私の現在の生活ですが、田舎の静かな夜に満月を眺めるのも結構贅沢なのかもしれません。

 

「内田樹の研究室」より、”大学の株式会社化について”

日本の科学技術レベルの低下について、ようやく科学技術白書も認めたということです。

そして、それは日本の大学が「株式会社化」を目指した時にすでにそうなることが決まっていたということです。

大学の株式会社化について (内田樹の研究室)

 

独立行政法人と言う名前になっていますが、この内容はまさに「株式会社」を狙ったものとなっています。

21世紀初頭に進められたこの動きは、当時強力な勢力を持っていた新自由主義者たちが率いました。

「株式会社化」というのは、「すべての社会制度の中で株式会社が最も効率的な組織であるので、あらゆる社会制度は株式会社に準拠して制度改革されねばならない」というどこから出て来たか知れない怪しげな「信憑」のことである。いかなる統計的エビデンスも実証データもないままに、その頃羽振りのよかった新自由主義者たちが教育・医療・行政・・・あらゆる分野で「改革」を断行せねばならじと獅子吼したのである。

このようなムードの中で、何でも株式会社が最高とばかりに改変していったのです。

 

それでは、その「株式会社化」とはいったい何なのか。内田さんは次のように説明しています。

彼らの考えるた「株式会社化」はおおよそ次のような原理に基づいている。
(1)トップに全権を集約して、トップが独断専行する(上意下達)。
(2)トップの下す経営判断の適否は、組織内の民主的討議によって「事前」に査定されるのではなく、マーケットに選好されるかどうかで「事後」に評価される(市場原理主義)。
(3)組織のメンバーではトップの示すアジェンダに同意するものが選択的に重用され、トップの方針に非協力的なものはキャリアパスから排除される。公共的資源もこの「トップのお気に入り度」に基づいて傾斜配分される。(イエスマンシップと縁故主義)。
上意下達・市場原理主義イエスマンシップ・縁故主義・・・と並べると、「今の日本の組織って、全部そうじゃないか・・・」と深く頷かれることと思うが、この四つが21世紀日本社会を覆い尽くした「株式会社化」運動の基本綱領である。

 

まさに、株式会社の原理というものを簡潔に表現されています。

 

確かに、「民間の営利会社ならそれで勝手にやってよ」ですが、「社会的共通資本」であるところの、行政や教育、医療などはこれでは困ります。

 

内田さんの挙げておられる例で、かつてある政治家が地方自治の実態をみて「民間では考えられない」と批判したそうです。

その政治家の意識は「このようなやり方は株式会社ではありえない」ということなのですが、地方自治の現場がすべて株式会社の論理でできるはずもありません。

 

その勘違いが大学の株式会社化にも存在しました。

その帰結がこの結果です。

「人間が集団として生きてゆくためにほんとうに必須のもの」と「(あってもなくてもよい)商品」を混同して、商品の開発・製造・流通と同じ要領で社会的共通資本も管理できると思い込んだ。そのせいで、今の日本は「こんなざま」になってしまったのである。
断言させてもらうが、大学の学術的生産力の劇的低下は大学の株式会社化の必然の帰結である

 

実は、日本の教育がもうダメだということを海外のメディアが報じていました。

しかし、日本政府は何の反論もせず黙ったままだったそうです。

本の学校教育が「もうダメ」だということはすでに一昨年秋にForeign Affairs Magazineが伝えていた。日本の教育システムは「社会秩序の維持・産業戦士の育成・政治的な安定の確保」のために設計された「前期産業時代に最適化した時代遅れのもの」であり、それゆえ、教員も学生もそこにいるだけで「息苦しさ」「閉塞感」を感じている。文科省が主導してこれまで大学の差別化と「選択と集中」のためにいくつものプロジェクトが行われたが(COE、RU11、Global30など)、どれも単発の、思い付き的な計画に過ぎず、見るべき成果を上げていないというのが同誌の診断であった。
私がなによりも問題だと思うのは、このような海外メディアからの指摘に対して文科省が無言を貫いたことである。
文科省の過去四半世紀におよぶ教育行政の適切性に疑義を呈したのである。それを不当だと思うなら、正面から反論すべきだった。同誌に抗議して、記事の撤回や訂正を求めても罰は当たるまい。

 

そうこうしている間に、文科省局長が収賄で逮捕というスキャンダルが起きました。

この局長が「科学技術学術政策局」であるというのもブラックジョークのようなものです。

大学入試の科目の中に、英語の民間試験を入れると言う問題も、当時の文科省大臣が受験産業出身で学習塾業界から資金援助を受けていたというスキャンダルの種もあったようです。

 

ちょうど今はかつての蓄えをはたいてノーベル賞受賞が相次いでいますが、この後はどうやらほぼその望みが消えてしまうようです。

私も知り合いには理系研究者が何人も居ますが、厳しい状況であるのは聞きました。

このような状況で技術立国は不可能でしょう。

 

年金等の運用先、国内株が40兆円を越えた

GRIF(年金積立金管理運用独立行政法人)、公的年金等を運用している機関の運用先で、国内株の比率が25%を越え40兆円だそうです。

www.nikkei.comその運用額が全体で160兆円というのも驚きですが、それをなんと株式市場に注ぎ込んでいるということがなぜ問題視されないかということも驚きです。

 

年次ごとの推移を見れば明らかなように、安倍政権発足より急激にその割合を増やしています。

 

東証一部の時価総額は、591兆円(政府保有分除く)だそうです。

www.nikkei.com

その市場に純増で30兆円を投入、株価を支えていると言うことではないのでしょうか。

 

つまり、アベノミクスでやっていることといったら、これが最大の事業だということです。

株価を下支えし吊り上げるのみ。それでなんとなく好景気感を醸し出し、それに騙された連中の票を得る。

 

実体経済など何も改善するはずもありません。

 

まあ、このまま続けばまだ良いのかもしれませんが、いずれ必ず株式市場の混乱は生じます。その際に、GPIFが先に売り抜けることなどできないでしょう。必ずや大損に終わります。

公的年金資金を危険にさらし、自らの支持率維持だけを狙っているのが現政権のやり口なのです。

 

「スコットランド 歴史を歩く」高橋哲雄著

スコットランドと言えば、キルトやタータンチェックイングランドと今は一つになっているとはいえ、古くからの伝統が残っているところというイメージですが、どうもそうではないようです。

 

あの男性がはくスカートのようなキルト、あれも中世以前に遡るようなものではなく、せいぜい18世紀に生まれ、その後の民族衣装ブームという雰囲気の中で上中流の階級の中に広まり、あたかも古来からの伝統のように見られるようになったもののようです。

氏族ごとに色や柄が違うと称するタータンはさらに生まれが新しく、そもそも氏族制度自体が1746年のジャコバイトの反乱で事実上解体されていたのですが、その当時でも氏族ごとのタータン柄の違いというものはありませんでした。

しかし、1822年のジョージ4世のエディンバラ行幸の際に、迎えた貴族や郷士たちが「我が家のタータン」と称する衣装を着て行事に参加したのが最初だったそうです。

 

スコットランドも元々の住民がケルト系だったかどうかは明白ではないようです。

しかし、アイルランドから「スコット人」と称する人々がハイランドに移り住んだのが西暦500年頃のことだそうです。

アイルランド人はケルト系ということですから、スコット人もケルトとしてよいのかも。

しかし、アイルランド人とスコットランド人はその国民性が大きく異なります。

アイルランド人はかなりいい加減なところもあり、馬車の時代のままのような交通標識もあるのですが、スコットランドでは非常に合理的、その経済観は「ケチ」、技術も高く教育も優れているというものです。

明治初期に日本にお雇い外国人としてやって来た教師や技術者は実は多くがスコットランド出身者だったそうです。

また、明治初期から日本に入ってきた英国由来の書物にもスコットランド人の著書が多かったとか。

 

スコットランドの人は多くの起源を持つ人たちの混合体であるということは間違いのないようで、上記のスコット人が来る以前から居たピクト人、その後ブリトン人、ヴァイキングアングロサクソン、ノルマンと様々な民族が繰り返し入ってきました。

ハイランドとロウランドではその人種差が大きいようで、両者の対立ということもあったようです。

しかし、ハイランド人が文化的には遅れているとは言われても、戦士として非常に強力であったという評価は広く行き渡っており、近世までヨーロッパで屈指の勇者と言われていました。

 

スコットランドには古くはカトリックが広まっていたものの、16世紀に持ち込まれたカルヴィニズムが広がりそれによる宗教改革が大きな破壊を呼びました。

イングランドでは、宗教改革といってもヘンリ8世による官製宗教改革とでも言うべきもので、カトリックとは別れたもののその中身は大して変化もないものだったのですが、スコットランド宗教改革では古くからの教会や修道院なども徹底的に破壊するというものだったのです。

 

国王の血筋の問題から、スコットランドイングランドが同君連合から、合邦ということになり、議会も合同ということになりました。

それでも両国は別という意識が強く、法律も宗教も別のままでした。

しかし、徐々にイングランドの影響は強くなり、スコットランドを変質させていくことになります。

 

それに対して、スコットランドの伝統と歴史を強調する動きが強く出てくるようになります。

上記のキルトやタータンをめぐる流行もそうですが、18世紀にジェイムズ・マクファースンという人物が、古代から伝わった叙事詩を翻訳したと称して出版した「オシアン事件」というものが起こります。

古代のスコットランドは文化も輝いていたと思わせるものだったのですが、始めからその原作は存在せず、マクファーソンが捏造したのではないかという疑いを持つ人が多かったのです。

しかし、その詩の出来は素晴らしく、また古代へのあこがれもあり、かえってフランスやイングランドで広く受け入れられました。

ナポレオンも愛読していたそうですし、その登場人物にちなんで「オスカル」とか「オスカー」といった名を子供につけるのも流行しました。

 

スコットランドは小国ですが、大学は昔から数多く設立され、イングランドにオクスフォードとケンブリッジの二校しかなかった15世紀に、セント・アンドルーズ、グラスゴウアバディーンの三校があり、さらにその後も設立が続くというほど教育熱心な国柄でした。

特に、実学実業の分野で優れた人々を数多く輩出しており、医師や技術者、法律家などが多いそうです。

 

現代でもまだイギリスからの分離独立という話も出ているようです。

日本から見ればサッカーもラグビーも別のチームを出しているといった程度の認識しか持てませんが、その特色は強いものなのでしょう。

 

スコットランド 歴史を歩く (岩波新書)

スコットランド 歴史を歩く (岩波新書)

 

 

「戦後日本経済史」野口悠紀雄著

第2次世界大戦で敗れた日本は、占領軍によって農地改革や財閥解体などの民主化改革を受け、軍備増強ではなく経済成長に集中することができたために、戦後の復興と高度経済成長を果たすことができたというのが、標準的な見解でしょう。

 

しかし、大蔵官僚として内情まで通じている著者からみると、それとは全く違う姿が見えてきます。

それは、「戦後日本経済は、戦時下に確立された経済制度の上に築かれた」というものです。

特に、「間接金融体制」というものが高度成長期までを支えてきたのですが、この体制は実は戦時中に取り入れられたものだったのです。

(間接金融体制とは、企業が資本市場からでなく、銀行からの借り入れにより投資資金を調達する仕組み)

 

そして、著者がさらに強調したいのは、そのような歴史的な経緯もさることながら、その体制がバブルを引き起こしそして崩壊までも起こしてしまったのは、そのような軍隊型の体制がまったく時代錯誤となったからであり、バブル崩壊後の長期停滞もそのためであるといこと、そして現在のアベノミクスもその幻影を追いかけるだけだということです。

 

昭和20年8月15日に日本は敗戦を受け入れましたが、それで多くの国民は茫然自失したものの、政府の多くの官庁はそれどころか自らの生き残りのためにあらゆる努力を始めました。

大日本帝国の政府の中でも、内務省などは消滅しましたが、大蔵省、通産省日本銀行といった経済の主力となる勢力は、占領軍に上手く取り入り存続を果たしました。

占領政策として行われたように見えるものの多くが実は日本側の官僚の意向だったということです。

著者は1964年に大蔵省に入省していますが、その時の事務次官は「昭和12年入省組」、以下局長、課長、係長まで延々と連続して入省した人々が終戦前と同様に執務していたということです。

 

旧日本の財閥などの資産保有階層、地主階級といった人々は、占領軍による財閥解体、農地解放などの施策で没落したと思われていますが、実はこういった施策はすでに戦時中に軍部や改革派官僚によって準備され、敗戦後に占領軍のお墨付きを得て実施に移されただけのものだったのです。

戦前の日本の都市住民は、借地借家に住むのが一般的でした。これも借地借家法の改訂により借家人の権利が拡充され、事実上借家人の所有になってしまうのですが、この借地借家法改訂も実は、終戦前の1941年のことだったのです。

 

こういったことが可能だったのは、ほとんどアメリカ軍であった占領軍には、日本の出身者が居らず、日本の内情を知るものが居なかったからです。

占領軍の認識はルース・ベネディクトの「菊と刀」程度のものしかありませんでした。

アメリカ人の中には、日本語の文章を読める者も少なく、日本の役人のやりたい放題だったようです。

こういった状況は、政府高官がアメリカに亡命し占領政策実行時にはアメリカの有力な助けとなったドイツの状況とは全く異なるものでした。

 

このようにして、日本政府官僚が占領軍を騙しながら確立したのが「戦後レジーム」です。

これは戦前に彼ら改革派官僚が果たそうとしてできなかった「統制経済」の確立であり、「日本型社会主義」とも言えるものでした。

これを作ったのは岸信介を始めとする人々なのですが、その孫の安倍晋三はそれを知ってか知らずか「戦後レジームからの脱却」と言っています。

いずれにせよ、ちゃんとした知識が欠けているのは間違いなさそうです。

 

戦後復興を果たした日本企業は、その後高度経済成長に入ります。

これを支えたのは、電機産業や自動車産業など、実にかつての「戦時企業」が看板だけ替えた重化学工業でした。

それらの企業を支えているのも、戦時制度そのままと言うべき労使協調でしたし、社会制度、政治制度もすべてそのような基本の上に出来上がっていたものでした。

 

 順調に発展を続けてきたように見える日本経済ですが、1960年代には欧米諸国から自由化を求める声が強くなります。

輸入品の自由化率を上げることや、通貨交換性の回復、国内市場開放が求められます。

まだまだ日本の産業は保護が必要と考える政府は小出しに対応をしていくことになりますが、すでに製造業側は保護は不要という認識になっていました。

 

その当時に政治の主導権を握ろうとしていたのが田中角栄でした。

それまでの輸出企業への融資中心の投資から、地方への公共事業分配による資金還流に向かいました。

この当時の日本の社会は、戦前のような財閥と資本家が支配する資本主義社会ではなく、資本家のいない平等社会と言えるものでした。

大企業は労使協調が行き渡り、中小企業には様々な政策融資が流され、農家は食糧管理法(これも戦時立法です)によって生産性向上無くして補助金がもらえるようになりました。

これは、当時のソ連や中国の実情などはるかに超える社会主義社会だったのかもしれません。

 

しかし、徐々にアメリカ社会の実情も知られるようになってくると、日本の経済規模の割に庶民の生活は劣悪であるという認識が高まってきます。

1973年に、著者が「国家的ねずみ講」と呼ぶ年金制度が整備されました。

その当時はまだ高齢者の比率が低かったために、年金給付が多い割に負担が少ない構造が問題となることはありませんでした。

しかし、その後の高齢化によってあっという間に財政への負担が急増します。

 

さらに、1970年代には所得税の大減税が行われます。

この当時にはサラリーマンの徴税に対する不満が激しくなりました。

訴訟も提起され、総評も必要経費を求める運動を始めるなどの動きに、田中首相は大幅な所得控除の引き上げを実施しました。

田中角栄は大蔵省をも強く支配していたために、こういった施策にも反対を許さずに突き進み、結果的に政府財政をガタガタにしてしまいました。

 

ちょうどこの時に、中東戦争が起こりそれに対して産油国が石油供給をストップするという、石油ショックが起きました。

これにより、石油価格の急騰が発生、石油を安く買い使うことで産業を動かしていた先進国に大打撃が発生します。

この石油ショックに最も速やかに適切な対応をしたのが日本でした。それは、この後のバブル経済につながります。

 

バブル経済の中では、株式市場の活性化が起きました。

どの企業でも財務担当者は株投資を始めとする「財テク」なるものの狂奔することになります。

そして、これは実は戦時中から続いており、しかも戦後復興と高度経済成長を成し遂げた銀行中心の金融体制からの脱却にほかなりませんでした。

この結果、銀行はそれまでの企業に対して資金を供与し売上を上げていく経営ができなくなり、資金運用難に陥りました。

「銀行が要らなくなった」と言える状況になったのです。

しかし、銀行は生き延びようとしました。これがバブルの弊害を大きくしました。

企業向けの融資から、不動産向けや中小企業融資などにのめりこんだのです。

これらが不動産バブルを激化させ、結果として不良債権の山を築きました。

 

このように、バブルまでの日本経済は「戦時体制」のままに運営され、それがちょうど時代にマッチして成功しました。

しかし、その後の世界はそのような戦時体制ではまったく適応できないものとなっています。

にもかかわらず、相変わらずかつての高度成長に幻想を抱き、バブル再燃を願う人々が多いようです。

現在の政権もまさにその通りです。

 

戦後経済史

戦後経済史

 
戦後日本経済史 (新潮選書)

戦後日本経済史 (新潮選書)

 

入り組んでいて魔物のような印象があった戦後経済ですが、非常に分かりやすく整理されていると感じました。

 

 

サンマ漁をめぐる話題 中国が悪者で日本の主張する漁獲制限に従わないの?

サンマの不漁と、その資源管理をめぐり、国際会議で日本と中国が対立したというニュースが流れています。

www.nikkei.comこれだけ見れば、資源が減っているのに制限に反対する中国の方が悪者というイメージですが、実はまったく違うのは薄々は分かりますね。

 

東京海洋大学の勝川先生が、分かりやすい解説を書いています。

www.nhk.or.jp

サンマのような回遊魚の場合は資源量の正確な把握が難しいようですが、少なくとも現在の日本のサンマ不漁は資源量減少とは言えないようです。

ただし、日本の漁船も大型化し外洋まで出ていって大量捕獲すればやはり資源枯渇につながるでしょう。

 

その他にも、ツイッターで今回の事件について色々と書いていらっしゃいます。

興味があったらどうぞ。「勝川俊雄」で。