爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「贅沢の条件」山田登世子著

著者はお年は書かれていませんが、フランス文化史が専門の大学教授、この本で「贅沢」について書こうと思いたち、周囲の人々に「あなたにとって”贅沢”とは」と聞いてみたそうです。

 

大学の学生さんなど、若い人たちは「贅沢」と聞いて値の張る服などの品物を好きなだけ買いたいということを思い浮かべることが多いのですが、著者の同年代のシニア世代や少し下の現役世代では、「ゆったりと流れる自分の時間」といった答えが多いそうです。

 

実は、このような贅沢というものの質的な変化は、各個人の年齢によって異なるとともに、社会全体としても変化してきているようです。

このような時代の流れ、贅沢の推移を、著者の専門のフランス文化史を通して見ていきます。

 

「富裕層は贅沢か」

現代ではその答えは様々になりそうですが、実はこの質問はすでに19世紀のフランスでもバルザックによって発せられました。

その当時は旧来の貴族層は没落する者も多く、代わりに成金が台頭してきていました。

成金が本当に贅沢をしているのか、没落したとは言え貴族が優雅に暮らしているのとどちらが贅沢かということを示しています。

 

それより少し前、17世紀のルイ14世の宮廷では、大貴族たちがきらびやかな宝石で飾り立てた衣装を身につけていました。

財務長官フーケの贅を尽くした館、それに対抗してより豪華に作られたヴェルサイユ宮殿などは、金を掛けることが贅沢であった当時の時代性を示しています。

その時代は、貴族は労働はせず、消費するだけが美徳であったのです。

 

しかし、革命期を過ぎ貴族が没落し、ブルジョワジーが台頭すると、彼らは働かずに浪費するわけにはいきませんでした。

銀行などの金融界を率いていたロスチャイルド家やペレール兄弟なども、着飾っているわけには行かず、黒い背広を着て仕事をしていたわけです。

 

そうなると、金を使うべき人々はそのブルジョワの男性陣ではなく、彼らの夫人、娘といった女性陣になります。

「有閑マダム」の登場です。

ブルジョワが制覇した世の中では、かつての貴族たちが華やかに装った装飾を、女性たちが受け継いだのでした。

そして、それは正式な妻ばかりでなく、高級娼婦や愛人達によっても盛り上げられていきました。

そのような、クルティザーヌと呼ばれる高級娼婦たちの作る世界は、ドゥミ・モンド(裏社交界)と呼ばれ、ベル・エポックの名物ともなりました。

彼女たちを彩る多くの宝石は何万フランもするものばかり、多くの男達から巻き上げて身を飾ったのでした。

 

しかし、現代に通じるファッションの世界を切り開いたココ・シャネルは、それとは全く違った方向に向きます。

シャネルは女性にもスーツを着せようとしたようです。それは、女性たちもビジネスに向かっていった時代にふさわしいものでした。

その源流はシャネル自身が育った、フランスリムーザン地方の修道院にあったようです。

 

現代では、かつての修道院や農家が中身だけを改装して優雅で高級なホテルとして生まれ変わっています。

著者は、別荘を探しているふりをして、古民家の売り物を見てみたのですが、ある程度の大きさで程度の良いかつての農家の建物が、数億円の価値があると聞きました。

そういった建物に手を入れ、優雅に暮らす生活が本当の贅沢と感じるのがフランスの価値観のようです。

 

贅沢の条件 (岩波新書)

贅沢の条件 (岩波新書)

 

 金などまったく縁がない私の現在の生活ですが、田舎の静かな夜に満月を眺めるのも結構贅沢なのかもしれません。