白人、黒人、黄色人種(なぜか”黃人”とは言わない)といった「人種」には見た目の違いばかりでなく能力の差があるという議論がかつては数多くされていたのですが、最近では人種差別と見なされできるだけそれを避けるような風潮になっているようです。
しかし、一方では近年は莫大な量のDNA分析が実施され、遺伝子の変異が非常に多く、またそれがある一定の人間のグループに特有のものも数多いという事実がどんどんと分かってくるようになりました。
容姿に影響を及ぼしたり、病気になりやすいという遺伝子変異というものもありますが、中にはやはり何らかの能力に影響がある遺伝子というものもあることは間違いないでしょう。
こういった点を表立って主張することには、人種差別反対論者からは非常に大きな反発があるようです。それがたとえプラスの能力であっても認めることはできないようです。
著者は科学研究者ではありませんが、「サイエンス」「ネイチャー」の科学記者を経て科学ジャーナリストとして活躍しているということで、こういった話題に一石を投じるには最適な立場かもしれません。
しかし、巻末に訳者あとがきとして山形浩生さんが書かれているように、本書に対しては非常に多くの批判が巻き起こったようです。
ただし、どうもその批判も著者が狙いとしていた通りの反応のようで、「人種は存在しない」という教義にそった批判であっても「遺伝的な特性をもとにクラスター分析してできたグループに分けられる」ということは否定できません。
その遺伝的な変異が本当に社会行動の差を生んでいるかどうか、その証明はできないというのが本書の弱点でもありますが、山形さんによると流石にこの本にはその辺の逃げ道はちゃんと用意してありながら、議論を起こせるようになっているということです。
現代の社会科学者の公式見解としては、人間社会のさまざまな違いというものは地理や歴史などの環境からくるもので、遺伝的なものには寄らないというものです。
しかし、現代の遺伝子解析は遺伝子の細かい変異は常に起こりさらにその広がりは局地的で狭い範囲であることを示しています。その遺伝的な要因による社会的行動の差というものが起きていたら、その社会の優秀さというものもあり得ることになります。
人種間の遺伝的な違いというものは非常に小さいということは遺伝子解析の初期に分かってきました。またその変異というものは連続的に変わっているために類型化が難しく典型的なものは少ないためにグルーピングも確定的なものにはしづらいということもあります。
また全ての人類は交配可能であることから人種の生物学的な種差というものは否定されてきました。
しかし、それほど大きな差ではなくても確実にグループ間の相違というものが存在することは事実ですし、それが遺伝子の影響によることを根拠もなく否定することも非科学的です。
その他、本書の主張については詳述はしませんが、人類というものについての議論に大きな影響を与えようとする著者の思惑はかなり有効であったのではないかと思います。
ただし、これを様々な自らの立場の主張に良いところだけ取り入れようとするような輩も出そうな気配を感じます。
どちらにせよ、かなり両刃の剣となりそうな本であるといえるかもしれません。