爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「百貨店とは」飛田健彦著

百貨店、いわゆるデパートですが、デフレ経済下ですっかり勢いを無くし低迷していましたがまだ回復の見通しはありません。

しかし百貨店というものは江戸時代に起源をもつ呉服屋から進展し日本の小売業界を牽引してきた存在であり、その価値は今でも失われていないのでしょう。

 

著者の飛田氏は伊勢丹に入社後様々な部署を歴任、現在は「日本経営理念史研究所」という活動をされているということで、その価値には自信を持っているのでしょう。

 

第一部は「百貨店の歴史を信頼性の秘密」、第二部は「百貨店おもしろ話」と題し、こちらはその地盤を築いた人々の話、 第三部は「百貨店の今後のために」という構成になっています。

 

百貨店の最初は1852年のフランスパリの「ボン・マルシェ」であると言われています。

これも衣料品店からの発展でした。

「入店自由」「定価明示」「現金販売」「返品可」といった原則を明示し、安心して買い物ができ、品質が高いということで信頼を集めました。

実はこのような原則はすでに日本でも越後屋松坂屋といった呉服店で採用されており、それ以前の古い商売様式を変えようというのは世界的な傾向であったようです。

 

江戸時代に江戸や大阪京都などで進展した新方式の呉服屋ですが、それが明治維新後に様々な商品を扱うようになります。

それが「今日は帝劇、明日は三越」と言われるほどになり、さらに関東大震災、昭和恐慌、戦災と様々な事件や困難にさらされながらも日本の小売業の中心として地位を確立していきます。

 

日本の百貨店にはこういった江戸時代の呉服屋から発展した、三越、大丸、高島屋などの「呉服系百貨店」の他に、「電鉄系の百貨店」、「その他の百貨店」があります。

それぞれに地域の中心として栄えた歴史がありますが、苦境に陥り閉店というところもあるようです。

 

第二部で扱われているのは、松坂屋の始祖の伊藤次郎左衛門祐基、白木屋の大村彦太郎可全、三越の三井八郎兵衛高利などの人々ですが、その伝記を見るとどれも同様の理念が見られるのは驚くほどです。

店内の人々の風紀を厳しく取り締まり、商売理念に外れるような者は排するということを共通して言っています。

さらに商売道徳は繰り返し強調され、それを守ることが他からの信頼を受けることだとしています。

こういった家訓を今でも守っていればよかったのにねというところでしょうか。

 

最後に「今後の百貨店」に触れています。

もう「百貨店は終わった」という風潮が大きいようですが、著者は決してそれには同意しません。

今の百貨店の苦境はその業態のせいではなく、経営陣の経営手法や環境認識の誤りのためだとしています。

バブル期以降現在までの百貨店は、お客様を忘れて売り上げ第一にしていまった。

品ぞろえの悪さ、販売員まで派遣してもらう「売り場貸し」、取引先にすべて背負わせる「オール・ギャランティ・システム」に依存しすぎることで、お客様の信頼を失ってしまった。

こういった経営陣の間違いから現在の不振に至っているということです。

日本の都会ではそこに行けば何でも揃うという「ワンストップ・ショッピング」という機能は百貨店の重要な存在価値です。

しかも「信用」というものはまだ百貨店に置く人が多くいます。

さらに百貨店で開かれる文化的なエンターテインメントというものは今でも重要です。

こういった機能というものは他の業態ではなかなか得られないものです。

そこを考えて立て直すことが必要なのでしょう。

 

私たちのような年代の者にとっては、たまにデパートに連れて行ってもらうというのは子供時代の大きな楽しみでした。

今の子供たちは何でそれを感じているのでしょうか。