他国の国歌などあまり耳にする機会もありませんが、唯一オリンピックの表彰式では流れています。
とはいえ、金メダルを取れるほどの選手がいる国だけに限りますが。
国歌と言うものがどうやって決められるか。
各国それぞれで国の政体が変わるたびに何度も変えているところもあり、ごく最近変えたという国もあるようです。
そのような国歌というものについて、広く世界の国々の事情を細かく解説されています。
国歌の事情だけでなく大まかなその国の歴史についても触れられていて、国々の概要を知るということもできます。
ただし非常にコンパクトに記述されていますので、音楽関係はかなり専門用語が説明なしに使われています。
たとえばブラジル国歌は、
特徴的な符点リズムのマーチの前奏(16小節)、ヴァース独唱部(32小節)は強弱で劇的な進行をみせ、最高音は独唱部終結部(d’)の「偉大grandez」である。コーラス部(6小節)は「愛しき母国ブラジル」と歌われ、全体が繰り返され、後奏(4小節)で終わる。
といった具合です。
これでイメージがつかめる人には必要十分な説明かもしれません。
国歌の多くはたとえ民族音楽の伝統がある国でも西洋風のものになっています。
西欧の国家観というものが広まりそれに従って国歌も作られたのですが、そこでは西洋音楽を学んだ人々が制作者となったため、そのような曲調となりました。
日本の君が代も最初のイギリス公使館軍楽隊長ジョン・フェントンの西洋風旋律こそ改めたものの、1880年宮内省の林廣守の雅楽風の旋律を編曲したのはドイツ海軍軍楽教師のエッケルトでした。
世界の国々の国歌には大きく分けて二つの傾向があります。
ドイツやイギリスのように緩やかなアンセム調のものと、フランスのように躍動感のあるマーチ調のものです。
マーチはフランスの「ラ・マルセイエーズ」が最初で、他のマーチ調国家の国々は多かれ少なかれそれに影響されています。
アンセム調の国歌は国王や国家の安寧を神に祈るという心を示し、マーチ型は国家独立を勝ち取る闘争を求める心を示します。
そのためか、フランス国家ラ・マルセイエーズの説明は少し長く詳しいものでした。
作曲者のルジェ・ド・リールはその後ナポレオン体制下では不遇となり、ナポレオン退位後の復古王政下では軍人恩金を渋られ、音楽活動も妨害されました。
しかし復古王政の行き詰まりから市民の反発を招き、彼らはラ・マルセイエーズを歌いバリケードを築きました。
それで政権を取ったオルレアン公ルイ・フィリップはルジェにレジオン・ドヌール勲章を授与し国家からの年金を付与しましたが、ルジェはすぐに亡くなってしまいます。
その後もラ・マルセイエーズの地位は変転します。
そして現在ではフランス憲法にもラ・マルセイエーズを国歌とすると明記されています。
巻末には代表的な国歌の楽譜と歌詞が掲載されていますが、辛うじて知っていたのはイギリス・ドイツ・フランス・アメリカ程度でした。