爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「英仏百年戦争」佐藤賢一著

フランス中世などを題材とした小説を多数発表されている佐藤さんですが、もともとはヨーロッパ中世史を専攻して学位を取られたということです。

この本ではその知識をそのまま本として、いわゆる「英仏百年戦争」を描いていきます。

 

英仏の百年戦争といえば、「イギリスとフランスの間の」「百年にわたる戦争で」「黒太子エドワードやジャンヌダルクの英雄譚」といったイメージを持つのが普通でしょうが、これらはいずれも誤りか、少なくともごく一部の真実しか伝えていないもののようです。

 

まず、その当時は「イギリス」「フランス」といった国家観はほとんど成立しておらず、王家といってもそれが統一した国家を築いているとは到底言えない状況であり、さらにイングランド王と称していたノルマン朝の王たちはイングランドに暮らすことすらなく、さらにノルマンディー公を兼ねていることからフランス王に形の上だけは従属しており、自分たちはフランス人であるとしか考えていなかったはずです。

フランス王の方でも直接支配していた地域は現在のフランスの中のごく一部にしかすぎず、それぞれの地域を治めていた公たちはフランス王に従うことすらなく、独立国状態であり、自由にイングランドとの関係を結んだりといった状況でした。

 

このような状況は11世紀にノルマンディ公ギョームがイングランドに侵攻し征服してイングランド王を名乗って以来延々と続いており、特にこの時期だけを切り取って百年戦争とする意味はあまりなさそうです。

 

しかし、12世紀にアンジュー家のアンリ・デュ・プランタジュネが父母双方の領地を相続することにより、イングランドとノルマンディ、ブルターニュアキテーヌ、アンジュ―というフランスの大半を治めることとなり、情勢が一変します。

これは「アンジュ―帝国」とも言うべきものでした。

しかしこのアンリ、イギリス名ではイングランド王ヘンリー2世が死に際して息子たちに領土を分割して相続させたことにより紛争が勃発します。

長男のアンリにはイングランドブルターニュ、アンジュ―など領地の大半を、次男リシャールには妻の領地アキテーヌを、三男ジョフロワはブルターニュ公家の女相続人コンスタンスに婿入りさせますが、四男ジョンはまだ幼少ということで領地は与えられませんでした。

ジョン(欠地王子、サンテール)は非常に悔しい思いを持ち続けます。

この兄弟のケンカにフランス王も介入し、結局はフランスの領土のすべてを失い、ジョンがイングランドに逃れてイングランド王ジョンとなりました。失地王とも呼ばれています。

 

この後もイングランドはフランスの旧領の回復を目指して戦いを挑みそれが長期続くことになります。

最初の頃はイングランドの国力は弱く、フランスの各地域のそれと比べても見劣りするもので、軍事力も限られたものでした。

しかし、それがかえって幸いしたのか、騎士の伝統とは関係なしに発達した長弓を主力とすることでフランスとの差を逆転することができました。

1346年のクレシーの戦でその戦法が爆発しイングランドが大勝、フランス軍は多くの貴族も戦死するということになります。

ここで圧倒的にイングランド側が優勢となるのですが、その直後にペストの大流行が起き、イングランドに多くの領地を認めたまま休戦となってしまいます。

 

これはフランス王家にとっては存亡の危機とも言うべきものだったのですが、イングランド側でも内輪もめが相次ぎ決定的な勝利も果たすことができません。

そこに現れたのがオルレアンの救世主、ジャンヌ・ダルクでした。

ただし、実際にその力が示されたのはイングランド軍などに包囲されていたオルレアンを解放した戦のみであり、その後ランスでシャルル7世の戴冠式を行うまでは存在があるものの、その後は見るべきところも無くすぐに捕えられ宗教裁判で火刑となります。

その当時はほとんど忘れされれたのですが、この話を発掘し大々的に宣伝して利用したのがナポレオン・ボナパルトだったということです。

 

延々と続き百年戦争と称されたこの時期が終わると、フランス、イングランドそれぞれの国としての意識が高まるようになり、ようやく国民国家としてのまとまりが意識されるようになります。

イングランドではバラ戦争という内乱がさらに続きますが、それを収めて強力な統一国家として発展することになります。

英仏両国にとって、中世から近世への脱皮をするための混乱というのが百年戦争だったのでしょう。