著者はすでに亡くなりましたが、音楽評論家として活躍され、「ミュージック・マガジン」という音楽誌を出版されていました。
日本の音楽ばかりでなく、アメリカはもちろん世界各国の音楽に詳しかったようです。
ちょうど、20世紀が終わろうとしていた1999年に出版されたこの本では、この世紀を「ポピュラー音楽の時代」と特徴づけて論じています。
ポピュラー音楽とは、大衆に受け入れられた音楽ですが、それは同時にどうしても商業主義とも関係せざるを得ません。
売れなければ存在できないということでもあります。
それが世界中に広まったのが20世紀だったとも言えます。
そういった、世界のポピュラー音楽の全体像を描いていますが、各音楽家の評価は非常に厳しく語られています。
「おお、スザンナ」や「草競馬」で日本でも親しまれているのが、アメリカのフォスターです。
彼は19世紀後半に、アメリカで歌を作るのを職業にしようとしたはじめての人だったと言えます。
アメリカ社会の現実、黒人奴隷に強制労働をさせて綿花を作り、北部では工業が興り始めていた時代でした。
その頃のアメリカの芸能に「ミンストレル・ショウ」というものがありました。
白人の芸人たちが顔を黒く塗って黒人に扮しておこなう、歌入りのコミック芸能でした。
フォスターの曲の大部分はこのミンストレルショウの雰囲気を取り入れて作られました。
しかし、フォスター自身は北部の中産階級出身であったために、やがて富裕層向けのピアノ楽譜に向いた曲の出版に力を入れ、そういった曲を数多く出版するようになります。「金髪のジェニー」などはそういった曲調です。
19世紀の終わり頃には、ニューオリンズでジャズという音楽が生まれました。
これには、かつてのフランス統治下に生まれた混血児や周囲から流れ込んだ黒人など、多くの人々が関わっていました。
このような環境で生まれたジャズには、世界の他の地域、南米やアジアで生まれた音楽とは異なる特徴がありました。
それは演奏者の個性が非常に重視され、天才の名演というものがジャズを特徴づけたということです。
ただし、それは多くの凡庸な演奏者の演奏はとてつもなくつまらなくしてしまったことにもなります。
ラテンアメリカでも、19世紀の後半からポピュラー音楽の胎動が起きていました。
スペイン人の作曲家、セバスティアーン・イラディエールが書いた「ラ・パローマ」です。
アメリカでも楽譜が出版されるほどの流行となりました。
その後も、南米各地にアフリカ起源の音楽とラテンを融合させた音楽が興ってきます。
あまり注目する人は多くないかもしれませんが、アジアやオセアニアでもポピュラー音楽と言うべき音楽が作られていました。
ハワイにもその伝統があったのですが、アメリカに近すぎてその直轄地として併合されたために、無残にも変質させられてしまいました。
20世紀になると、レコードというものが音楽界を左右するようになります。
アメリカでは1900年頃からレコードへの直接録音(電気を使わない)が始まり、1925年にはマイクを使った電気録音が始まりました。
直接録音の時代に人気のあった、ビリー・マレイやノーラ・ベイズといった歌手は舞台芸人の体質が色濃く残っていたのですが、電気録音以降に人気の出たのがビング・クロスビーで、ソフトに滑らかに歌う明らかに体質の違う歌手でした。
ヨーロッパ諸国でもポピュラー音楽は発展していきますが、みるべき歌手はフランスのエディット・ピアフ程度。
イブ・モンタンやジュリエット・グレコなどは、アメリカのシナトラと同クラスの通俗歌手だということです。
ポルトガルの女性歌手、アマリア・ロドリゲスは世界トップクラスの実力を持つということです。
日本の歌謡事情も厳しく評価されています。
音楽学校卒の、藤山一郎や淡谷のり子といった人気歌手たちは歌唱力が貧弱、声が上ずり音程も不安定、歌い方は一本調子。
(私が言っているのではありません。この本にこう書いてあります)
第二次大戦後に現れた美空ひばりに始まりそれに続いた歌手たちははるかに優れたものだったそうです。
(これも著者の意見です)
アメリカでは音楽事情もモダン・ジャズ、ロックンロール、ソウルへと進んでいきました。
これらすべてに音楽関連企業の事情が絡んできます。
あくまでも商業主義の中での音楽事情となります。
しかし、その事情もインターネット社会の進化で変化していきます。
これまでの企業運営とはかけ離れた音楽も出現しました。
世界各地で独自の音楽も出現しています。
そんな中で、著者が20世紀最強のボーカルと評するのがパキスタンの生んだヌスラット・ファテ・アリ・ハーンだそうです。
全然知りませんでした。