川原さんは言語学その中でも音声学という分野の研究者です。
音声学などといってもほとんど分からない人がほとんどだと思いますが、言葉というものが母音と子音が組み合わさってできており(日本語以外の場合、子音ばかりがつながる言葉もあるようです)、さらに音の中にも共鳴音、阻害音、破裂音などがあるといったことが基本のようです。
そんな研究が何の役に立つのか、といった思いがよぎりますが、それもこの本の中で著者は色々と書いています。
といったような、言語学や音声学など著者の専門分野についていろいろな方向からエッセー風に綴っている本です。
実際の生活に密接に関係する部分もあるようで、日本語ラップの問題についてやプリキュラやポケモンの登場人物などと音声学の関係、ハッシュドビーフの「ド」についてなど、興味を引くように書かれているだけではなくかなり音声学の根幹に近いようなものを含むということもあるようです。
なお、ハッシュドビーフでは日本では「ド」と書きますが、もちろん英語の hashed beefから来ていますが、これは英語では「t」と発音し「d」になることはありません。
played, fried などは「d」と発音されますが、iced, cooked の時は「t」となります。
「d」は有声で「t」は無声です。
なおこの最後の音には母音はつかないのですが、日本語ではどうしても最後に母音をつけることとなります。
それでも「o」をつけて発音しても「ト」となるべきで、「ハッシュドビーフ」ではなく「ハッシュ”ト”ビーフ」とするのが本来の発音に近いはずなのですが。
こういった例はいくつもあるのですが、言語学者としては決して「ハッシュト」と書くべしなどとは言ってはいけないそうです。
そうではなく「どうしてこうなるんだ」ということを観察し分析することを心血を注いでするべきだということです。
ラップという音楽がありますが、元は英語圏で起こり流行っていましたが徐々に世界中に広がり日本でも作られています。
しかし2005年頃に「日本語はラップに向いていないのでは」と論争になったそうです。
色々な点について語られたそうですが、中でも「韻を踏みにくい」ということを言う人がいました。
日本語では母音が5つしかなく、しかも言葉が子音で終わることがない。したがって技巧を尽くして音韻を踏むというラップには向かないというものです。
これに対して著者は言語学的に本気で反論したそうです。
日本語で「濁点をつける」ということは、無声音を有声化するということになります。
タ行からダ行、カ行からガ行、いずれも口の中の発音の仕方は一緒で、ただ声帯が振動するかどうかが違うだけです。
しかしハ行とバ行は異なり、ハ行では口が大きく開くのに対し、バ行では両唇が閉じます。
これはもともとハ行の発音が違ったためで、元は「パ行」だったそうです。
パ行であればバ行と同様に両唇が閉じますのでタ行やカ行などの原則と一致します。
古代では(著者は歴史言語学は専門ではないのではっきりいつまでとは言えませんが)ハ行はパ行と発音していました。
つまり「卑弥呼」は「ピミコ」と発音していたはずです。
「ひよこ」は「ピヨコ」だったので「ピヨピヨ」鳴く、「ひかり」は「ピカリ」だったので、「ピカピカ」光るといことだったのです。
その発音が「ハ行」に代わりましたが、オノマトぺでは昔の発音が残ったということです。
エルデシュ数というのが学者の中で遊ばれているそうです。
ポール・エルデシュというハンガリー出身の著名な数学者がいるのですが、論文を発表するのに非常に多くの共著者を持っており、500人以上いたそうです。
そこで、「自分の共著論文のつながりをたどっていって何回でエルデシュにたどりつけるか」を「エルデシュ数」と呼んで、自分がどれだけ近いかを競うというものです。
例えば、エルデシュと直接の共著があればエルデシュ数1、エルデシュ数1の研究者との共著があれば、エルデシュ数2となります。
本著著者の川原さんはエルデシュ数4ということで、どうだ偉いだろということです。
なお同じような考え方で「ベーコン数」というものも出てきました。
この場合のベーコンとは俳優のケビン・ベーコンで、ベーコンと共演したかどうかを同様に数えていくのだそうです。
芸能界に縁がなければベーコン数ははるか彼方なのですが、川原さんは音声学の講義にゴスペラーズの北山陽一さんが来たおかげでベーコン数が生じ、5となりました。
こういったお遊びの話ばかりではなく、巻末で紹介されている、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の人の声を保存する研究というところの話では思わず涙が出ました。
ALS患者は徐々に筋肉が使えなくなり、しゃべることもできなくなります。
その患者さんが話のできるうちにその声の成分を分析して保存し、後からその声を使って話を合成できるようにするというものです。
子どもの小さい若いお母さんがその病気になり、声を保存しておくという活動をしたそうです。
そしてその活動を共に行った大学の学生さんたちもそれに感動し、自分の進路を決めたということもありました。
言語学など何の役にも立たないなどと言うことは全く間違いだということです。
巧みな文章で非常に面白く読めました。