爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「教養としてのラテン語の授業」ハン・ドンイル著

図書館の語学の棚にあったのでラテン語の文法などの本かと思いましたが、中身はラテン語というものを通じて古代ローマや中世のヨーロッパ社会、そして現代イタリアに至るまでの文化的なエッセーというものでした。

 

著者のハン・ドンイルさんは韓国出身ですが、イタリアに渡りラテン語を始め様々なものを学び、ロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士となりました。

これは韓国人としてだけでなく東アジア出身者としても最初となります。

しかしその後韓国に戻っていたところ、ソウルの西江大学からラテン語を教えるように依頼され、初中級者に対してのラテン語の授業を行ったそうです。

その授業が非常な人気となり、西江大学だけでなく他の大学からも聴講生が押し寄せるというものでした。

この本はその授業の内容をもとにまとめたものです。

語学だけを教えるのではなく、古代ローマから現代までラテン語を使用してきた国々の歴史や文化などにも話が広がり、教養というものを身に着けることができるような内容となっています。

 

28章からなっているのですが、その一つ一つは最初にラテン語の文章から始まり、それについて様々な方向から語っていくことでローマ社会、カトリック、イタリアといったものの神髄に触れられるようになっています。

 

Lectio Ⅲは「ラテン語の品格」(De Elegantiis Linguae Latinae)と題されていますが、ここではラテン語の歴史からその性格までを大まかに説明しています。

ラテン語古代ローマ帝国の言葉として地中海世界に広がっていきましたが、著者の意見によれば「ラテン語の特性のひとつに、相手を尊重し認めるという点がある」ということです。

それに続けて「私が外国で生活しながら感じたのは、韓国語が実に荒っぽい言語だということだ。韓国語は年長者であれば相手が年下というだけでぞんざいな言葉使いをする。それにくらべてラテン語では基本的に相手が誰であれ卑下することはない、フラットな状態を前提としている」と書かれています。

そのようなラテン語の性格がローマの地中海制覇を成し遂げる上で力になったのではということです。

 

しかしそのようなラテン語でも「悪口」も非常に発達しました。

Lectio XVⅠでは「ローマ人の悪口」(Improperia Romanorum)が紹介されています。

古今東西、悪口というものがない文化や民族というものは無かったでしょうが、古代ローマでも例外ではなく、非常にそれが発達しました。

Stultus es! ストゥルトゥス・エス、馬鹿野郎という意味ですが、このStulutusからイタリア語のstupido、さらには英語のstupidにつながります。

さらには俗語や猥雑な表現といったものも高度に?発達していったそうです。

 

非常に高尚な雰囲気が感じられるもので、このような授業が受けられた大学の学生というものは幸福であったろうと思います。