爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「水道が語る古代ローマ繫栄史」中川良隆著

古代ローマは技術的にも優れた建造物を残しており、中でも水道は石畳の街道とともにローマの繁栄に直結したインフラとして優れたものです。

そのような古代ローマの水道と繁栄について語るのは、現在は大学工学部の教授ですが、かつて建設会社の技術者として明石海峡大橋の建設に携わったという中川さんで、建設技術というものには精通している方です。

 

都市というものが運営されていくためには、水に関すること、すなわち上水をどうやって供給するかと下水を効率的に排出するということが非常に重要です。

現代の世界でもそれがきちんとできている都市がすべてではなく、不十分な都市の方が多いのではないでしょうか。

しかし2000年以上も前の古代ローマ、特に中心都市のローマはそれが非常に発達していました。

ローマはテヴェレ川にそって建設されており、他の地域であればその川の水を上水として使おうとするのでしょうが、古代ローマ人はその川は下水の排水場所としてのみ使われ、上水は少し離れた水源から数十Kmもの水道を建設して引いてくることとしました。

最初の水道を建設したのは、紀元前312年であり、そのアッピア水道はローマ市内まで17㎞の行程のほとんどがトンネルでした。

最終的には11本の水道を作り、その総延長は500㎞以上にもなりました。

なお、アッピアといえば有名なアッピア街道の方が有名かもしれませんが、この街道も水道も建設したアッピウス・クラウディウス・カエクスにちなんで命名されています。

 

なお、近代以前の文明都市で水道というものを建設したところといえば、時代は相当違いますが日本の江戸時代の江戸が思い起こされます。

本書でも江戸と古代ローマの比較を数か所で行なっています。

江戸も水源に乏しい場所であったため、多摩川などの上流から水を引いていましたが、それは勾配を巧妙に計算して作られてはいたものの開放式の河川状のものでした。

一方古代ローマの水道ではほとんどが石や鉛管などで作られた水道管状のものであり、途中での汚染物質の混入も無く、現代の水道よりも優れたとも言えるものでした。

また、水源は江戸の場合は多摩川の上流とはいえ、川の表層水で水質としてはさほど良いとは言えなかったのに対し、古代ローマの水道はわざわざ遠くまできれいな水源を探し、湧水や地下水などから引いています。

よほど水質に対する嗜好が強かったようです。

 

ローマ市内の観光名所として有名なものに、トレヴィの泉があります。

これは「泉」とは言うものの、自然に湧き出しているものではなく、ヴィルゴ水道の終着点で途中で使われなかった水道水を最後に噴出させているものです。

このような「泉」はローマ市内には他にも見られ、いずれも水道の終着点です。

ただし、現在見られる様々な彫刻などで装飾されているものは中世以降のものです。

しかし古代ローマ時代にもこういった泉は華麗な装飾が施されていたようで、水というものに対するローマ人の思い入れがあるようです。

 

最終章では著者が工学技術者として古代ローマの技術の中でも素晴らしいものを挙げています。

それは、測量技術・コンクリート技術・トンネル掘削、橋梁建設・サイフォン・地下貯水槽です。

ヴィルゴ水道では距離1000mで19㎝下がるという微妙な勾配を建設していますが、そのための測量にはコーロパーテスという長さ6mの棒が用いられました。

これで現代の測量技術とほぼ等しい結果を出していました。

 

古代ギリシャなど他の文明では石造りの建造物が作られましたが、古代ローマではコンクリートが使われました。

これにはヴェスビオス火山の周辺から産出する火山灰が使われました。

これに割石を混ぜ水で混合するコンクリートを各種建造物に多用しました。

水道橋の建設にも用いられ、その他の多くのインフラ建設にも使われましたが、非常に強い強度が得られるため建造物もしっかりしたものになりました。

 

このような優れた建設技術とそれによって作られた水道もローマ帝国滅亡とともに失われました。