古代ローマなどを描いた「ローマ人の物語」という大著を書かれた塩野さんですが、元々の興味の対象はルネサンス期のイタリアであったそうです。
大学で卒論のテーマとして15世紀のフィレンツェの美術を扱い、その後イタリアに渡ってさらに見聞を深めていきました。
そして著者自身が「ルネサンス物」と呼ぶ著作を出版していき、その後古代をも書くようになったということです。
本書はそのような「ルネサンス物」の基礎となるような、ルネサンスの全体像を表しておこうというものです。
ルネサンスという時期を、著者は通常より少し昔の1200年頃から、最後は反動宗教改革というものが起きた1550年ころとしています。
そして、ルネサンスを始めた者として、アッシジの聖フランチェスコと、神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世を挙げ、彼らの記述からこの本を始めています。
ルネサンスの開始を、ダンテやジョットーからとする見方もありますが、芸術面からだけ見ていけばそうであっても、歴史上の精神運動という意味を考えれば宗教家の正フランチェスコと政治家のフリードリヒ2世がまさにルネサンスの土壌を用意したと言えるそうです。
聖フランチェスコは、後のプロテスタントのようなローマ教会に楯突く抗議活動はしませんでしたが、教会の活動に大きな変革を起こしたと言えます。
アッシジの商人の父親が、南仏のアヴィニョンに滞在中に知り合ったフランス女性と結婚し、アッシジに戻ってから産まれたのがフランチェスコでした。
フランチェスコという名前は、彼以前には存在しませんでした。英語では「フランシス」フランス語では「フランソワ」、つまり「フランス人」という意味であり、それを男子の名としたのは彼が最初でした。
その後、どの国でもこの名は大人気となるのですが、聖フランチェスコにあやかろうとしてのことです。
ルネサンスの芸術面の花が最初に開いたのはフィレンツェでのことです。
最後の光が輝いたヴェネツィアとフィレンツェは、その都市の性格、人々の性格で大差がありました。
フィレンツェ人の気質として特徴的なのは、個人主義が強すぎるということです。
これは、学問や芸術の面では非常に有利に働きます。
しかし、社会の安定というものは個人主義が強すぎると得ることができない。
メディチ家の没落とともに、フィレンツェの繁栄も終わってしまいました。
その後のルネサンスは、ローマ教皇の主導で進むことになります。
カトリック教会の権威に逆らうというルネサンスの意味が、教皇主導とはおかしな話ですが、ルネサンス期の教皇にはそういった人々が連続して就任していました。
しかし、ラファエッロやミケランジェロなどの大芸術家の作品を次々と仕上げさせるためには、ローマ教皇といえど莫大な支出が必要でした。
それで苦しくなった法王レオーネ10世は、禁断の免罪符発売に踏み切ったのでした。
これに憤慨したのがマルティン・ルターであり、そこからプロテスタントが始まります。
その始まりに、ルネサンスの芸術が関わっていたということです。
ルネサンスの意味というものはどういったものか、絵画や彫刻だけを見ていてはなかなか理解しにくいものかもしれません。