夏目漱石はその作品の中にその舞台となる地域の特性を反映させる描写をしていることが多いようです。
漱石は東京生まれで、一時は松山や熊本、ロンドンに滞在していたもののほとんどの時期を東京で過ごしました。
作品の中ではそれがどこかということを明示していないとしても、すぐに分かるようになっています。
「こころ」では東京山の手、「坊ちゃん」では松山、「草枕」は熊本といった具合に。
実は「坊ちゃん」の小説の中では松山ということはまったく特定していません。
しかしその状況から松山以外にはあり得ないということはすぐ分かるのですが。
そういった観点から、文学者ではあるものの地図を片手に歩くのが大好きという著者が、漱石の作品と地理との関係についてあれこれと教えてくれます
漱石が東京以外で暮らしたのは、熊本の4年3か月というのが最長だそうです。
その間、九州各地に旅行をしておりそれが作品の中に感じられるものも多くなっています。
その中でも「草枕」の中の那古井温泉のモデルとなった玉名市の小天温泉への旅行は最たるものでしょう。
実は漱石がこの小説を書いたのは熊本を離れてからのことで実際に行った時から9年後のことなのですが、その情景描写は緻密で人物像も鮮明です。
ただし最終章では川舟で停車場まで下るとありますが、実際の小天温泉は海辺であり別の場所をあえて組み合わせているのは明らかです。
「こころ」で主人公の先生が新たに住居としたのが小石川台地でした。
友人Kとお嬢さんとの三角関係が主題となるのですが、そこで描写される散歩道は巧みに東京の山の手と下町の間の坂道を使い、それが登場人物たちの心の動きを表します。
「猿楽町から神保町の通りに出て、小川町の方へ曲がり、万世橋を渡って明神の坂を上がって本郷台へ来て、それからまた菊坂を降りて、しまいに小石川の谷へ下り」
ちょっと現代人には散歩には長すぎる道のようにも見えますが。
こういう本は読んでも実は漱石の作品は坊ちゃん程度しか読んだことがなく、「草枕」も「こころ」も読んでいないのですが。
読まなくても想像するだけで楽しい、いや「読まない方が楽しい」のかも。