爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

岸田は何を指して「国際社会」という言葉を使っているのか。

COP28に恥をさらしに出かけている岸田首相は、演説で「二酸化炭素排出対策をしていない石炭火力発電所の新規建設を止める」などと言う変なことを言っています。

まあ、どうせ批判を集めるでしょうが、もう面倒くさくなったのでそれはひとまず置いておいて。

www3.nhk.or.jpこの演説に限らず、総理の言葉の中には「国際社会」というフレーズが頻発します。

さて、彼は何を指して国際社会と言っているのか。

そちらを考えてみたいと思います。

 

世界情勢に関わる問題では必ず「国際社会に合わせる」と言っていますが、その国際社会自体がそれほどはっきりと決められているわけでもなさそうです。

 

北朝鮮問題、ウクライナ紛争、パレスチナ紛争、中国沿海問題など、国際紛争に関わる問題でも国際社会という言葉を持ち出すのですが、当然ながら当事国の一方は外されることとなります。

北朝鮮、ロシア、パレスチナ、中国はその場合当たり前のように「国際社会」の一員ではないとみなされるようです。

 

脱炭素化に当たってはアメリカも完全に国際社会側とみなすことはできません。

その場合にはアメリカを外しますが、途上国側の態度も国際社会側とみなすこともできず、さらにBRICS各国も違う意見を持ちます。

結局はここでいう国際社会はヨーロッパの国々、それもG7メンバーのイギリス、フランス、ドイツ、イタリア程度しかいないのかもしれません。

 

核兵器禁止条約についてみれば、署名国が84か国と世界の中でも多数であるにも関わらず、日本はアメリカなどと歩調を合わせて署名せず、オブザーバーとしても参加していません。

国際社会というのはどちらの側でしょうか。

 

結局はほとんどの場合は日本の考える「国際社会」はほぼイコール(≒ですね)で「アメリカ」でしょう。

脱炭素化の場合のみ国際社会≒ヨーロッパ主要国

「国際社会に歩調を合わせ」などと言わず、「アメリカ様の言う通り」とした方がよほど実態を表しているようです。