エネルギーや環境問題と言っているのに、なぜ経済成長が出てくるのと思われても仕方ないかもしれません。
しかし、ちょっと勘違いの脱炭素化やエネルギー削減といった課題に取り組むにもまず立ちふさがるのが「経済成長の呪縛」ですから、この際考えておくことも必要でしょう。
というわけで、最初に掲げた「3つの誤り」の3番目です。
3.いかに気候変動の影響が多大と言われても、経済成長は絶対達成しなければならないことであるからと考え、そのためにはエネルギー消費削減などあり得ないと思い込む。
経済成長が絶対の善であるというのが現代の「神の言葉」のようで、これさえ持ち出せば反論を封じることができるかのようです。
気象災害が大変な被害をもたらし、温暖化阻止が緊急の課題だと「本当に」思っているなら、経済くらい少し落ち込んでも化石燃料削減はやらなければならないと言い切る人間が出てもいいと思っているのですが、誰もそうしません。
それを言ったら現代社会では責任ある立場から放り出されるかのようです。
おそらく本当にそうでしょう。
私のようなもう引退した年寄りで社会的立場など無いような人間しか言うことができないことなのです。
しかし経済成長というものは人間社会で必ずなければならないというものではありません。
資本主義となった社会ではそれが必須となったと言えるでしょう。
そこの話はさすがに環境問題やエネルギーとは関係ないのでここでは控えておきます。
しかし一言だけ言っておくならば、経済成長は持続的社会とは相容れないということです。
成長するものは決して持続することはできません。
それでも「持続的な経済成長」などと言う人が出てくるのにはあきれるばかりです。
脱炭素社会を目指すのにあまりにも経済成長の呪縛にとらわれている人が多いために、「脱炭素化でも経済成長はできる」などと言いだす人もいます。
脱炭素化技術に転換するには多くの資源を投入しなければならないので経済成長になるということのようですが、そこまで行くと哀れに見えるほどです。
見かけだけ化石燃料を使わないように見せる偽の脱炭素化ならそういうこともあるでしょう。
しかしエネルギー使用を限界まで減らすという真の脱炭素化であるなら、経済成長とは両立はできないでしょう。
二兎を追う者は一兎をも得ずです。
やはり経済成長はあきらめてもらい、経済縮小社会を目指すしかないのです。
経済が縮小していく社会とはどういったものか。
決して暗いばかりではないはずですが、エネルギーをジャブジャブと浪費する光景だけが繁栄だと思い込んでいる人には地獄のように見えるのかもしれません。