爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「民主主義全史」ジョン・キーン著

今の日本は民主主義であろうとは思います。

しかし民主主義とは、そしてその歴史とはと言われるとそれほどはっきりと認識してはいません。

そして今民主主義は独裁国家全体主義国家により脅威を受けているとも考えられます。

そういった民主主義について、オーストラリアの政治学者キーン教授が解説します。

 

民主主義には色々な形態があります。

それを本書では、「集会民主主義」「選挙民主主義」「牽制民主主義」としてそれぞれに歴史を語ります。

まず現在の世界の民主主義が「牽制」であるというのは気づきませんでした。

さらに古代のギリシアなどの直接民主制と考えていたものが「集会民主主義」であること。

代議制民主制が「選挙民主主義」と用語自体もこれまでの感覚とは異なるものでした。

 

まず「集会民主主義」ですが、一般的には、(ヨーロッパ主体の意識ではと言った方が良いかも)古代ギリシャで誕生し栄えたものの衰えたと考えられますが、実際にはメソポタミアで生まれ中東に広がり、その末端でギリシャにも伝わったもののようです。

ヨーロッパ主義者たちは努めてメソポタミアの先行する事実を無視しようとしますが、すでに多くの記録を残していますのでそこに現れる集会の事実は消しようもありません。

民主主義の原型は中東で紀元前2500年頃に生まれました。

メソポタミア文明は絶対君主による王制だというのがこれまでの概念でしょうが、実は王権は民衆の集会と呼ばれる制度により抑制されていました。

それは都市住民だけでなく農村でも開かれており国中で広く行われその権限は君主のものを上回っていたとも考えられています。

こういった制度はメソポタミアから周辺へ伝わり、フェニキア人により地中海にももたらされました。

ギリシャはこういった伝達の末端だったようです。

 

しかしこういった古代の集会民主主義は国王や皇帝の統治が強まるとともに失われていきました。

そして12世紀になり民主主義の新たな形態が生まれることとなります。

それが選挙民主主義でした。

あまり知られていないことかもしれませんが、その始まりはスペイン北部の議員会議でした。

そして1920年代にかけて起きた独裁政権全体主義による世界規模の代議制民主主義破壊によって終わることとなります。

1941年には選挙制民主主義国家の総数は1ダースを下回るまでに減少しました。

選挙制民主主義は誕生から終焉まで8世紀の歴史でした。

ただし、それらを作り出していた人々はそれを「民主主義」などとは認識していませんでした。

多くは有産階級以上の人々であり、彼らは女性や労働者などは参加させることなど考えませんでした。

そういった人々を参加させるようになるのは、もう選挙制民主主義の終焉も近いほんのわずかな期間だけでした。

 

第二次世界大戦独裁国家全体主義国家を打ち負かしたのが民主主義国家だというのはどうやら少し違うようです。

単純な選挙民主主義は戦争と共に終了してしまいました。

その後の民主制は牽制民主主義とでも言わなければならないようなものとなりました。

選挙により選ばれた政権が全権を掌握し政治にあたると考えられていますが、実際には多くの圧力団体により牽制されておりそれは選挙手続きとは関係がありません。

選挙民主主義が「一人、一票、一代表」の原則に従うのだとすれば、牽制民主主義は「一人、多数の利害、多数の声、複数票、複数代表」ということになります。

すでに単純な代議制民主制の時代は過ぎ去りました。

牽制民主主義の進展にはデジタルメディアも大きく関わってきます。

今のコミュニケーション・ネットワークが突如なくなれば、牽制民主主義もおそらく存在しなくなるでしょう。

 

しかしこのような牽制民主主義が機能しているのは世界でもごく一部でしかありません。

多くの国では新たな専制主義が登場しています。

一応は国民の投票で選ばれる制度ではあっても(そうでない国もありますが)、トルコ、ロシア、ハンガリーアラブ首長国連邦、イラン、中国などトップダウンの政治構造で国民の忠誠心を操る専制的な統治体制が登場し、他の国へも広がっています。

欧米の民主主義国家でも機会と富の格差拡大に苦しんでいます。

そもそも資本主義というものは民主主義とは相反するようです。

資本主義が高度に機能するほど富の独占となり国民全体の権力という民主主義の基本は無くなります。

民主主義と言いながら専制主義の準備をしているだけのような時代となっているのかもしれません。

 

それでも民主主義を守るための努力が必要なのでしょう。