爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「第三帝国を旅した人々」ジュリア・ボイド著

第三帝国、すなわちナチス・ドイツは現在では絶対的な悪であり、誰もその行為を認めることはなく、擁護するような発言をすることは、少なくとも欧米では命取りにもなり兼ねない存在です。

 

しかし、これはあくまでも世界大戦後にナチスの行為の多くが明るみに出たからこそできた概念であり、その当時に生きていた人々にとってはそれほど一般的なものではありませんでした。

もちろん、早い時期から迫害を受けたユダヤ人などは訴えを続けたのですが、まだ全世界的な同意を得る事はできませんでした。

 

そのような中、実際に戦争状態に入っていくまでの間には多くの外国人、特に英米人が様々な事情で第三帝国に入り、その印象を書き残しています。

 

訳者あとがきに、翻訳者の園部哲さんが書いていますが、「世界中の書店や図書館には、欧州における第一次・第二次両大戦についての史書ヒトラーの伝記、ナチス興隆記、そしてユダヤ人迫害の記録があるが、空白の分野がある。20世紀の大事件たる二つの大戦にはさまれた幕間に、次幕には欧州史上最大の悲劇が待ち構えているとは知らずに一群の外国人旅行者がドイツ各地を闊歩していた、そうした記録をまとめた例は極めて少ない」

そして、この本がその嚆矢となるということです。

 

本書では1919年から1945年までの歴史の流れの中で、主に英米からドイツを訪れた180人、ほとんどが無名の旅行者などの書き残した印象をまとめています。

 

イギリス人はもともと文化的にもフランスよりはドイツに惹かれることが多かったようで、観光旅行だけでなく、子女の留学などもドイツを選ぶ傾向が強かったようです。

これは文化の基を同じくすると感じていたアメリカ人の一部にも共通し、両大戦の間の時期にドイツを訪れた外国人の中でも英米人はかなりの比率を占めました。

それは、ドイツでナチスが勃興し政権を取り、ユダヤ人圧迫を始めとする強権的な政治を始めてからも同様で、何やらおかしなことをやってはいるようだが、それでも道徳的には健全に見えるドイツの方が(イタリアやフランスよりははるかに)マシという感覚だったようです。

 

またナチスの方でも対外的なプロパガンダのためにも、こういった訪独外国人には気を使い、反ナチス的な者以外は厚遇していました。

すでに開設していた強制収容所なども外国人に対して見学を許し、ただし囚人役としては看守が服を替えて当たり、架空の収容生活を演じたそうです。

 

多くの外国人はこういったナチスの策略にはまり、好意的な印象を持ったそうですが、中にはそれを見抜いていた人もいました。

ナチス側はイギリス、そしてアメリカをその後の欧州大戦では少なくとも中立にしておけば非常に有利になるのはもちろんであり、狙いはそこにありました。

 

第一次大戦に敗戦後のドイツは、過酷な講和条件と巨額の賠償金で社会が困窮していました。

経済崩壊だけでなく道徳も破壊され、ベルリンには売春宿だけでなく多くのゲイバーが乱立しそれを目的として多くの外国人も訪れました。

そのような状況でもユダヤ人の一部は迅速に立ち上がり、それがドイツ人の目にはそれを利用したかのように映ったため、反ユダヤ主義が激化したということもありました。

それを利用したのがナチスだったとも言えます。

また伝統的な道徳観を持つ保守的な人々にとっては反道徳とユダヤ人をまとめて粛清しようとするナチスと言う感覚がもたれ、これはドイツ国内だけでなくイギリスなどにも共有される心理だったようです。

 

1936年にドイツで開かれたオリンピックは、ナチスの巧妙な宣伝に使われました。

ベルリンの夏季大会が有名ですが、その半年前にはガルミッシュ・バルテンキルヘンというところで冬季大会も開かれました。

ナチスは大会期間中はユダヤ人迫害の影などは目につかないように覆い隠し、海外の有色人種の選手も優遇し応援してごまかしました。

しかし、選手や取材団が帰国するやいなや、すぐに元に戻そうとし、たまたま1週間長くドイツに残ったアメリカのバスケットボールチームの選手はどんどんと現れてくる光景に驚いたそうです。

 

このような、ナチスの真の姿がどうであったのかを振り返ることは、現在の様々な集団がどのように振る舞っているか、その真意を見る練習にもなるかもしれません。

その当時は決してナチスは絶対悪では無かったということ、それを忘れないことでしょう。

 

なお、著者のジュリア・ボイドさんは亡くなった御夫君のサー・ジョン・ボイドが外交官で各国大使を歴任され、在日英国大使を務められた時には一緒に来日していたということです。

御本人はそれ以前から歴史作家であり、訪日後には明治時代に日本でハンセン病患者の救済を行った英国婦人ハンナ・リデルの伝記も書かれたそうです。