爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本人が知らない 世界と日本の見方」中西輝政著

国際政治学者で京都大学教授の中西さん、その意見には反発も感じますがやはりなんとなくひきつけられるものを感じて本を手にとってしまう、そういった悪魔のような魅力があるとは言えるようです。

sohujojo.hatenablog.com

前のブログでは「図書館でも手に取ろうとは思わない」などと書いたのですが、なんとなく手にとって読んでしまいました。

 

この本は、京都大学での2008年の講義をまとめたものだということです。

講義とはいえ、学外の社会人なども聴講希望者が多く、その講義録を求める声も大きかったとか。

そこで、PHP研究所がその出版を行ったという、現代社会を引っ張る構造がそのまま見えるような出版エピソードがまえがきに記されていました。

 

まあ、前置きはそれくらいとして、一応中身に触れておきます。

 

第1講「戦争の仕組み」では、日本人が戦争といえば太平洋戦争ばかりに意識が向き勝ちだが、世界的にはそうでもないということを認識させられます。

イギリスやヨーロッパではそれ以上に第1次世界大戦が強烈な印象を残すものだったとか。

事実上、それが国家総力戦と言うものの始まりであり、兵士の戦死もそれまでとは比べ物にならないほど多い上に市民の犠牲者も多かった。

そのために、反戦平和主義と言うものはヨーロッパでは第1次世界大戦後に広がったそうです。

日本ではこれは第2次大戦後に限られていますが、日本だけの現象ではなくヨーロッパでも普遍的なものでした。

 

「もし国際連合に拒否権がなかったら」と言う問いかけも面白いものでした。

第1次世界大戦後にできた「国際連盟」には拒否権というものはありませんでした。

日本はその国際連盟では常任理事国でした。

アメリカは加入しておらず、形の上では英仏伊といった諸国と同等の地位でした。

しかし、満州事変などの大陸進出を日本が進めた時に、国際連盟は日本を非難する決議を賛成大多数で採決しました。

そのために日本は国際連盟を脱退して第2次大戦に突き進むのですが、もしも国際連盟が現在の国際連合と同様に常任理事国の拒否権を認めていたら、日本の連盟脱退ということは無く、その結果第2次大戦にも進まなかったかもしれません。

「拒否権」というものは、大国のわがままを認めるだけということのように見えますが、かつての痛い経験から大国同士の戦争だけは避けると言う意味で作られたもののようです。

 

アングロサクソンとはなにか」と言うもの面白い問題ですが、ここでは詳述はしません。

 

グローバリゼーションの進展で、世界はまた一つの文明圏となるという見方が現代では支配的ではないかと思いますが、中西さんはそうはならず「アンチ・グローバリゼーション」に向かうと見ています。

「国家」というものが再び重要なものとなり、グローバル企業をも支配するということでしょう。

それが実際どうなるか、この後の展開次第かと思いますが、どっちが勝っても庶民には良いことは無いのかもしれません。

 

だいぶ毒気に当てられました。これでまたしばらくは中西さんの本は読まなくていいかな。