爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

里地里山と生物多様性、確かにそれは存在するだろうが。

環境省のHPで「里地里山」と「生物多様性」とを絡めて、だから里地里山を守りましょうといった趣旨の宣伝がされています。

 

生物多様性というと、言われただけで「守らねば」という反応をするのが普通でしょうが、アマノジャク的性格の私としてはそうは行きません。

 

www.env.go.jp冒頭には次のような文章があります。

里地里山は、農地、ため池、樹林地、草原など多様な自然環境を有する地域です。相対的に自然性の高い奥山自然地域と人間活動が集中する都市地域との中間に位置し、国土の約4割を占めるといわれています。里地里山の環境は、長い歴史の中でさまざまな人間の働きかけを通じて形成されたものです。

国土の約4割を占めるということですが、これは江戸期くらいが最も多く今は徐々に減っているのでしょう。

そして、「長い歴史の中でさまざまな人間の働きかけを通じて形成された」と書かれています。

これは忘れてはいけないことであり、あくまでも「自然そのまま」などではなく、「人間との関わりでできてきた人工的なもの」だということです。

 

ここのところを誤解している人がいるようで、(曲解?)、「里山の自然」だとか平気で言っている場合もあります。

 

日本で里地里山と言えば、どうしても広々とした水田の光景が思い浮かぶことでしょう。

 

しかし、水田というもの、それはイネを栽培している農地ですが、古めに見積もってもせいぜい3000年前から後のことであり、それも最初のうちは湧き水のある山の麓などに限って栽培可能であったとすれば、この光景の成立はさらに時代は下ってきます。

それ以前の縄文時代にはほとんど農耕は行われず、狩猟採集でしたので、雑木林ばかりが広がっていたはずです。

さらにその前、現生人類(ホモ・サピエンス)が日本列島に移り住んできた約3万年より以前はまったく手つかずの原生林が広がっていたことでしょう。

 

ここでもう一つ、多くの人の陥りやすい勘違いを指摘しておきますが、「原生林」は「山林」だというのが今の感覚でしょうが、かつては「平地も含め全土」が原生林だったはずです。

関東平野などはさぞかし広大なものだったでしょう。

 

このように、水田の広がるような里地や里山の光景が「日本の原風景」と書かれている場合が多いのですが、とんでもない。

せいぜい3000年しか歴史のない風景が「原風景」などとは到底成り立たない話です。

日本の原風景は今はほとんど見られない「照葉樹林やブナ林の原生林」です。

 

さて、これで最初に戻り、このような「里地里山」環境は「生物多様性」が多いのかどうかです。

これは、実は確かに「多い」のです。

本当の「日本の原風景」である原生林は生物多様性という意味ではさほど恵まれてはいないかもしれません。

それと言うのも、里地里山環境は自然そのままの時には無かった「水田という水環境」や「人為的に雑草や枯れ枝などを取り除いた環境」を作り出し、そこにしか住めない動物や植物が繁茂できる環境を作り出したからです。

 

水田や周辺の水路などには水生動物や昆虫、藻類や植物が棲息しています。

それは、原生林であった時代にはほとんど入り込むことができなかった生物です。

このために、「生物多様性」自体は増加していると言えるでしょう。

しかし、そういう言い方をするなら、「都会でも生物多様性が増している」とも言えるわけです。

人間が作った環境に非常にうまく適応している、ゴキブリ、家ダニ、家ネズミ、カラス、ハトといった生物は、自然環境ではこれほど繁栄していなかったはずです。

それの繁茂を許した「都市環境」というものも、「生物多様性の増加に寄与している」とも言えるはずです。

 

まあ、このようにかなり無理をしなければ維持できないのが「里地里山」の環境です。

阿蘇の草原も、野焼きという行為をしなければどんどんと灌木が繁殖し最終的にはこの地域のあるべき姿の「照葉樹林帯」になるのでしょう。

同様に、現在の日本では4割を占める里地里山かもしれませんが、そのうちに人類滅亡した後にはほんの数百年で完全な自然に戻るでしょう。

その中に、廃墟と化したビル群やスカイツリー、東京タワーの残骸がかすかに原型をしのばせる程度に残るかもしれません。