爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

戦争はいけない、誰もが口を揃えるがその先は千差万別

「戦争をしてはいけない」とは現代ではほとんどすべての人が言うことです。

それを言う限りにおいてはほぼ同一です。

戦争をして利益を獲得しようなどと言うことを(思っていても)広言した場合はほぼ世界中で社会から排斥されます。

 

しかし、その先の行為については千差万別です。

 

もっとも高度な人々は「何をされても自ら戦争をすることはない」態度を選択します。

これは、究極的には自国が軍事的に攻撃され占領されてもということです。

自衛のための戦争すら否定します。

 

次のレベルの人たちは、自国に軍事攻撃をされたら反撃します。

その範囲は自国内に限ります。

ただし、その「自国」という中に、かつては「海外の自国の資産」や「海外にいる邦人」なども含まれていたこともあります。

さらに「係争中の国境の無人島」もどうするかで態度は別れます。

 

次の人たちは反撃の範囲を自国から出て相手国まで含めます。

これを称して「抑止力」などということもありますが、戦争を否定することにはなりません。

相手が殴ってきたら殴り返すのか、そういえば殴られたまま耐えろとも言えますが、それがナイフで刺して来たらと考えると刺されても耐えろと言えるかどうかということになります。

 

もっと程度の低い人たちは相手が攻撃の素振りを見せただけで「反撃」してしまいます。

これでも自衛のための戦争だと言い張ります。

これがどういう人たちか、ロシアのウクライナ侵攻を見れば分かります。

あれもロシアにとってみればアメリカやNATOが自国の寸前まで押し寄せてきて危険だから自衛にしか考えられないのでしょう。

 

日本が「自衛のため」と称して準備しているのがこのどのレベルのものか。

反撃する能力を見せつけることが抑止力だと言い張るのは、だいぶ下の方に張り出してきています。

敵基地攻撃能力などと言っているのもそれに近いものでしょう。

しかしもしも公平な目で見ることができるなら、「海外への軍事進出の度合いを強めている国」とどこが違うのか。

似たようなものと言えそうです。

そういえば、かの国の指導者のやり方をそっくり真似したいかのように見えるのが今の我が国の首相のようです。

さらにロシアの指導者をも絶好の目標としているかのようにも見えます。

 

本当に「戦争はいけない」と思ったらどうすればよいのか。

すぐに分かることですが、ただしその道を実行するのは非常に難しい苦難の連続となるでしょう。