今はあまり聞くことのなくなっている言葉で、色盲・色弱というものがありました。
私の年代なら学校で全員検査が行われ、あのいろいろな色の混ざった札の文字が読めるかどうかということをした覚えがあり、結構多くの人が引っかかっていた覚えがあります。
本書著者の川端さんも中学生の時に検査で色覚異常と診断されたのですが、その後はさほどそれを意識することも無く人生を送ってきました。
それには川端さんの年齢(1964年生まれ)も関わっており、その数年前までは多くの職業で色覚異常の人の雇用制限があり、また学校も入学者の資格として認めていないところが多かったようです。
さすがにその状態は人権上問題が大きいとして徐々に制限も緩和され、さらに学校での検査も無くなってきました。
ところが、現在でもいくつかの職種では色覚異常を制限しているものがあり、学校での検査がなくなったために自身が色覚異常と気が付かないままそういった職種へ就職しようとして断られるという例が出てきています。
そのため、一部の眼科医などで学校での検査の復活といった声が出だしているようです。
こういった状況に疑問を抱いた川端さんが、関係者や科学者などに取材を重ね、社会的な現状から医学的、生物学的にみた色覚そのものの解明の現状に至るまで詳しく調べて最新の色覚に関する情報をまとめたというのが本書です。
一言で感想をまとめるなら、色覚というものは非常に多様性が大きく、ある一部分のみを捉えて異常を言い立てるのはおかしいということでしょう。
本書内容は、第1部では色覚異常を巡る社会的な問題、第2部では色覚に関するサイエンス(医学・生物学・遺伝学等)の最新の情報、そして第3部で「色覚の医学と科学をめぐって」と題し現状の問題点を整理します。
作曲家の團伊玖磨さんは戦前に色覚検査を受けて色盲と診断され、将来就くことができる職業が全体の3割以下と言われて衝撃を受けたそうです。
それで音楽学校に進み作曲家となったのですが、もしも色盲と言われなければどうしていたのでしょう。
その後徐々に緩和はされるのですが、戦後もかなり遅くまでずっと制限される職種というものが残ってきました。
今でも就職困難な職種としては、鉄道運転士、印刷業の色校正、塗装業、航海士、パイロット、看護師、その他が挙げられています。
ただし、そのような制限が本当に必要なのかどうか、詳しく科学的に証明されたものではなさそうです。
色覚異常はなぜか特別視されることがあります。
このような体質や病気で「何とか異常」と表現されるものが、他にも屈折・脂質・代謝・染色体・精神などありますが、「異常者」と「者」を付けて呼ばれるのが色覚において非常に多いということです。
たしかに、近視や遠視の人は「屈折異常」だとは言われますが、その人々を「屈折異常者」と呼ぶことはほとんどありません。
しかし色覚異常のみ、「色覚異常者」と呼ぶことが普通に行われています。
これはかつての学校での全数検査、さらに異常者の特別扱いといったものを引き継いでいるかのようです。
かつては、「色覚異常者との結婚も考え直す」といったことが公然と言われていたこともありました。
伴性遺伝を起こす例として典型的なものであり、その遺伝の法則が知られるようになったことも関係するのでしょうか。
それで色盲と言われた人ばかりでなくその母親も深刻な状況となったこともありました。
色覚というものを科学的に見つめた、第2部の内容は非常に参考となるものでした。
現在のヒトでは「3色覚型」というものが「正常」と言われています。
錐体細胞という色を感じる細胞に、L,M,Sの3種類があると言われており(別説もあり)それが揃っているのが正常だということです。
しかし、これは霊長類に特異的なもののようで、多くの哺乳類ではそれが2つしかない「2色覚型」です。
さらに魚類、爬虫類、鳥類では錐体を5つ持つ「4色覚型」です。
哺乳類に進化する過程でそのうち2つを失い2色覚型となりました。
しかしなぜか霊長類になった時に1つを取り戻したのです。
ただし、詳しく調べるとヒトでも3色型以外の2色型、変異3色型が40%程度存在しており、ここまで多数存在しているものはとても「異常」と呼ぶことはできません。
多様性があると捉えなければ間違いでしょう。
かつての色覚検査で使われていた図表を「石原表」と呼びます。
1916年に陸軍軍医だった石原忍により作られて出版された「色神検査表」を基に作られており、現在でも世界で幅広く使われています。
アメリカのテストパイロット選考試験ではより高度な色覚検査が行われているのですが、簡便な石原表はまだ大きな存在価値がありそうです。
ところが、この石原表検査は簡易検査でありそれで陽性となったらアノマロスコープ検査というものを確定検査として行うということが、現在だけでなくかつても決められていました。
ところがこの機械を眼科病院で色覚検査を行なうとしているところでもほとんど持っていないそうです。
川端さん自身もかつて学校で色覚異常と言われたものの、病院へ行ってそのような検査をやったという記憶もありません。
実は確定検査なしに簡易検査のみで言われていたようです。
今回、取材のためもあり眼科病院にも出かけて再度検査を受けたそうです。
石原表検査では依然と同様に誤読する表がいくつか出たのですが、アノマロスコープを受けたら「異常ではない」という結果が出ました。
これまでの人生は何だったんだと感じてしまったとのことです。
石原表検査も検査である以上は、「擬陽性」「擬陰性」を示すことがあります。
ふるいがけという意味ではある程度の擬陽性を検出しても確定検査で真の陽性のみを拾い出すということになります。
ところがその確定検査を行わず、専門の眼科医に行ってもまた石原表検査を繰り返すだけでは意味がありません。
学校での全員検査の実施を強く訴えている一部の眼科医はその状況をどう考えているか疑問です。
色覚異常という人々が本当に社会で働くのが問題なのか。
赤色だけが見づらいという人がいて、工事現場で赤のマークが見えないから働けないと言われたそうです。
ところが、もしもそのマークを朱色にすれば問題なく見分けられます。
そうするようにと会社に助言したところ、朱色の塗料は高いから無理だと言われたそうです。
このような社会の側のバリアフリーへの取り組みが、色覚異常対策としてもたくさん行われるべきなのでしょう。
黒板に赤チョークで書くことを何とも感じていない教師が多いのではそれも進まないようです。
色覚異常者は男性の5%と言われていますが、実際には40%が何らかの異常、いや多様性を持っているということです。
自分もそうである可能性が高いと思うことが必要なのでしょう。