爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「アイヌの歴史 日本の先住民族を理解するための160話」平山裕人著

アイヌと呼ばれる人々は、今では北海道にわずかながらに残っていると言われていますが、かつては東北から関東地方までも住んでいた形跡があります。

地名からアイヌ語の痕跡が見られるということもかなり広い範囲にあります。

その人々を追い払い、また同化して取り込み、北海道の果てから千島列島に至るまで「歴史上、我が国の固有の領土」などと言っていますが、そうではないことは明らかです。

また、「わが国には先住民族はいない」などと公言する連中も後を絶たず、国連が「国際先住民年」などを定めて運動しても日本は関係ないと言い張っています。

 

そういった動きに対しては不快感は覚えますが、そうはいっても自分でもアイヌという人々はどういった歴史をたどってきたのかということはほとんど知りませんでした。

その概要を掴むためには、この本は古代から現代に至るまでの広範囲の知識をまとめて教えてくれるもので、非常に役に立つものでした。

 

まず、アイヌという人々はどういった民族なのかということからかなり問題がありそうです。

現在、かなり和人(この本では大和民族を和人と称しています)と混血が進んでいますが、それでも北海道にアイヌという人々が住んでいたということには間違いはありません。

しかし、古代に大和朝廷が東北に何度も征討軍を派遣して討った「蝦夷」という人々がいました。

これがアイヌなのか、違うのか。

さらにその前の時代には東北地方に多くの縄文遺跡を作っていた人々がいました。

この人々はアイヌなのか、違うのか。

どうもはっきりとした答えがないようです。

どうやら、最近の学説は、縄文人は和人の祖先、古代蝦夷天皇家に従わない東方の和人ということでまとまっているようです。

しかしアイヌも確かにその辺りに存在していたようです。

それを無視することになっているのかもしれません。

学会としては、12世紀頃から北海道で文化を確立した人々を「アイヌ」と呼び、その文化をアイヌ文化とするものの、それ以前については触れないことにしているようです。

12世紀のアイヌがどこからか飛来してきたはずもないのに。

 

一方で、アイヌ語というものの痕跡は地名などに多く残っています。

東北地方にはかなり多いのですが、関東にも見られるようです。

その言葉を使いその地名を付けた人々はアイヌ人だったのでしょうか。

縄文人とひとまとめに言われますが、そのごく限られた資料を調査しても北海道と東北、さらに関東以西と比べるとかなりの相違がみられます。

北海道の縄文人はその後のアイヌの人々とかなり関係が深いようですが、東北ではそれが少ないといったことは言えるようです。

しかしそれらの資料の総数は少なく、研究は難しいようです。

 

北方で住んでいた人々はアイヌだけではありませんでした。

サハリンやさらにその北方には別の民族が住み、時代によっては移動して北海道に来ることもありました。

3‐4世紀以降にはサハリンからオホーツク文化を持つ人々が北海道にやってきたこともあったようです。

アイヌは道東、道央より西南に退きました。

しかしほどなく押し返したということです。

こういった動きの陰には大陸の中国王朝やその北方の遊牧民族も関わってきます。

それが膨張し北方にまで勢力を広げるとそれに押されて海の彼方に逃れるということで、千島や北海道にまで移動するということもありました。

 

鎌倉時代には津軽十三湊に安東氏が拠点を築き勢力を北海道にまで伸ばします。

さらに15世紀には蠣崎氏(後の松前氏)が北海道渡島半島に拠点を置いて様々な産品の移出を取り仕切ろうとします。

アイヌも交易により日本からの品物を得ることができるようにはなりますが、様々な摩擦が生まれます。

コシャマインの戦い、シャクシャインの戦いなど多くの争いが起こりました。

それでも圧倒的な和人の武力に押さえつけられるとともに、和人が持つ病原体による疫病の蔓延で人口が激減することもあり、和人の支配下に置かれることになります。

こういった状況は、中南米のスペイン占領や北米のインディアンの運命などとも非常によく似たことが起きていました。

 

18世紀になるとロシアがシベリアからサハリン、千島列島にかけて進んできます。

1689年にはロシアと清王朝が戦争をして清王朝が勝利しネルチンスク条約が結ばれロシアはアムール川一帯以南には進めなくなったため、東方に進出することになります。

カムチャツカ半島、サハリン、そしてアラスカに至るまで進んでいきました。

そこには先住民族も住んでいたのですが、彼らと戦い、そして屈服させて毛皮税を徴収するということを続けました。

さらに千島列島をその住民と戦いながら南下していきます。

破れた住民の中には逃げて南下していく人々もいました。

彼らを追ってロシア軍も南下するというのがその頃の情勢でした。

現在、北方四島は日本の固有の領土だと言っていますが、エトロフ島まではロシア人が先に到達していたのは間違いないようです。

ロシアはさらに北海道まで押し寄せ、日本との間での直接対決となりました。

その結果、1854年の日露通商条約で北海道南千島は日本、北千島はロシア、サハリンは日露の混在地となりました。

そのすぐ前まではすべてアイヌモシリであったにも関わらず。

 

本書はその後の現代に至るまでの状況も示していますが、ここに至ってもアイヌを日本の先住民族と認めるのを強硬に断る勢力が日本の権力者には多数居ます。

アイヌなどはもう同化してしまい、存在しないなどと広言するものもおり、またアイヌ人も事を荒立てると差別が怖いということで声を上げない人も多いようです。

あの傲慢不遜のアメリカ白人たちでも、アメリ先住民族の権利を否定はできないのですが、それよりさらにひどいのが日本の権力者層なのでしょう。