日本の古墳は世界的に見ても巨大なモニュメントであるということは言われていますが、実際にはどのようなものか。
2018年に国立歴史民俗博物館が主催した「日本の古墳はなぜ巨大なのか」と題した国際シンポジウムの内容をもとにして本にしたものです。
考古学的な「モニュメント」とは、物理的な機能が明確ではない建造物のことを言います。
その最古のものはトルコのギョベクリ・テぺ遺跡にある「神殿」であると言われています。
その後もヨーロッパなどで円形に石を並べたストーンヘンジのようなものが作られますが、これらは人類史上第1段階のモニュメントと言えます。
その後、第2段階のモニュメントと言えるのが、本書で扱われる日本の古墳や、エジプトのピラミッド、中国の皇帝陵など、立体的で規模も大きくなったものです。
本書では、日本の古墳をこれら世界の第2段階のモニュメントと比較していきます。
第1部は「世界の先史モニュメントとその社会」と題して各国の例を説明しています。
エジプト古王国のピラミッドは有名ですが、ユーラシア草原の大型墳墓、アンデス文明や古代メソアメリカ、北アメリカ先史時代のモニュメントなどはあまり知られていないものかもしれません。
古代中国の皇帝陵、秦始皇帝陵が有名ですが、これらは日本の古墳ともつながるものである可能性もあります。
第2部では「日本の古墳は巨大なのか」が扱われます。
3世紀なかばに大和盆地に作られた箸墓古墳は、古墳時代が始まったことを示す最初の大規模古墳です。
それ以前のものはせいぜい全長80m程度のものですが、箸墓古墳は一挙に280mにまで大きくなりました。
これはやはり政治状況が変化し西日本一帯をまとめる政体が出現したからと見るべきでしょう。
地球全体で見ても、人口の著しい増加が起きたのですが、それが非常に顕著であったのが紀元前3000年以降の世界的な大規模モニュメント築造の時代と重なります。
日本でも巨大古墳築造が行われた時代にはやはり人口の急激な増加が起きていたとみられます。
これは当然ながら狩猟採集の食料確保が、農業生産に移行し、さらにその農業のやり方も進歩したことと関係しますので、やはり政治というものが出来上がってきた時代と言うことにもなります。
それが巨大墳墓の築造とも重なっていったのでしょう。
なお、世界の他の文明の巨大モニュメントと比較して、日本の古墳は非常に数が多いということがあります。
中国やエジプトではその王国の国王の墳墓として作られその時代では唯一つの存在ですが、日本の古墳は最大のものは中央に集まるものの、それに次ぐ規模のものは全国各地に作られました。
これは各地の権力者のものでしょうが、それがまだかなりの勢力を持っていたものと見られ、朝廷の支配に入っていたとしてもある程度の自立を果たしていたのでしょう。
それが各地で競争するように古墳の巨大化を計っていたのかもしれません。
本書内容が国際シンポジウムをそのまままとめたものであるためでしょうか。
やはり部分ごとに主張は独立しているようで、統一的な意志が薄くはっきりしないように感じられました。
編者のまとめはそれをカバーする意図だったのでしょうが、それもややあいまいなものを感じましたが、多くの演者への遠慮があったのでしょうか。