爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『日本列島改造論』と鉄道」小牟田哲彦著

1972年(昭和47年)新幹線が岡山まで開業した直後、当時通産大臣であった田中角栄が「日本列島改造論」という本を出版しました。

彼はそのすぐ後の自民党総裁選挙に勝利し総理大臣となるのですが、時の最高権力者がその思いを著した本ということで大きな売り上げとなりました。

もちろん田中がその本の隅々まで書いたということではなく、多くの官僚と執筆者たちの力が合わさってのものですが、田中の思想に基づいたものであるのは間違いなく、政権の方向性を公開したということでは他に例を見ないものでした。

 

その中では日本全国の開発方向性というものを語る上で鉄道についての考えも明らかにされています。

その観点から交通行政や交通史の研究家、小牟田さんが検討しています。

 

日本列島改造論出版時にはまだ新幹線は東海道と山陽の岡山までが開通していた段階ですが、やはり全国に新幹線網をめぐらし、地域間の移動を格段に高速化するというビジョンを示しています。

しかし、それと共に地方交通の拡充にも鉄道を有効活用するということが示されており、特に田中の地元新潟の特性から、冬期積雪時の鉄道の優位性にも言及されています。

この本以外でも田中は鉄道というものの公共性については積極的に評価し、維持することが地域のために必要なら営業赤字となってもやるべきだという持論を明らかにしていたそうです。

 

最初に新幹線を建設という計画を立てたのは国鉄であり、その費用捻出を国会に認めさせるのは大変な事でしたが、その時にその理由として挙げられたのが、当時の東海道線などの幹線の過密ダイヤでした。

地域内の通勤通学列車に加え、長距離の都市間輸送用の特急・急行、さらに貨物列車も多数運行しており、限界に近づいていました。

その中で長距離列車を新幹線として分離することで通勤列車や貨物列車の運用が楽になるということを新幹線の利点としていました。

実際にその後の状況を見ても東海道新幹線はそれにふさわしい活躍ぶりです。

 

ところが、その後の新規新幹線開業では、それとは全く異なる状況になっています。

在来線の運行を楽にするどころか、もはや在来線は不要とばかりに第3セクター化してJRから切り離しています。

 

そして、田中が列島改造論で論じた地方路線に至ってはどんどんと廃止が進んでしまいました。

実は田中が総理就任以前から国鉄赤字線廃止の動きは強まっていたのですが、田中首相在任時は一時的にそれが止まりました。

しかし田中失脚後はまた大きな動きとなり、JR化となってさらに加速しました。

 

日本列島改造論出版時には野党を始め言論界からも批判が相次ぎました。

しかし全国に開発を拡大するといった面に対しては批判されても、鉄道論自体にはそれほど反論が無かったようです。

特に、地方赤字路線の存続という点については、野党も表立って反論はできずさほど触れられないままに終わりました。

そして田中退陣以降は赤字理由の廃止論にブレーキはかからずどんどんと進んでしまいました。

 

地方切り捨て、都会集中の動きばかりが強まる現在ですが、田中の主張は注目すべきことかもしれません。