メディア、すなわち大新聞やテレビ局といったものですが、そういったものに対する不信感というものが欧米や日本で高まっていると言われています。
「フェイク・ニュース」などと言う言葉も一気に有名になりました。
その実態は、そしてその意味するところは、それをドイツ、イギリス、アメリカ、そして日本について詳しく見ていきます。
イギリスでEUからの離脱を決める国民投票が実施されましたが、その際にタブロイド紙では不正確な情報を流すということが問題となりました。
一方、アメリカではトランプが大統領となりましたが、彼は一部のメディアに対し「フェイク・ニュース」と非難し支持者たちにメディア不信を植え付けようとしました。
ドイツは今でもマスメディアに対する信頼度が高いようです。
それでも移民増加に反対する右翼からは大きなメディアの報道姿勢に対する不信感が表明され「うそつきメディア」という言葉をデモ行進の際のシュプレヒコールで繰り返すということがありました。
ドイツではメディアはリベラルの立場を取ることが多かったのですが、そのために難民問題の報道の際に曖昧な態度を取ることがあり、それが反対派から大きな反発を買いました。
2015年の大みそかにケルンで多数の女性が襲われるという事件が発生したのですが、その加害者は明らかに「北アフリカ人およびアラブ人」であったにも関わらず、多くのメディアではその報道で加害者についての詳述を差し控えました。
それが難民・移民増加に反対する人々にとっては裏切り行為と映ってしまいました。
イギリスではBBCは公共放送として不偏不党ということを厳しく実施してきました。
しかしEU離脱のように国民が二分される問題についての報道では、それを実施しようとするばかりに不自然な両論併記的扱いが多発し、それも批判を招きました。
まだまだ階級社会であるイギリスにとって、国民各層の意見を万遍なく取り扱うことがほんとうにできるのか。
二大政党の言い分だけを公平に取り扱ってもそれらからも置き去りにされた人びとから見れば不公平感が募ります。
アメリカではメディアにも自由を追求する姿勢が行き渡り、政治的にもその立場を明確にすることが多いのですが、ただし新聞記者やジャーナリストなどはほとんどが白人・リベラル・男性というのが実情となっています。
そのようなメディアというものは、それ以外の人々から見れば「みんな敵」という感覚になります。
そこを上手く取り込んだのがトランプの作戦であり、メディアから反発をされても関係なしにネットを使ってメディアはフェイクだというイメージを広め、それが大統領選での勝利に結びつけられました。
日本の状況は欧米とは少し違う面があるようです。
日本の新聞は欧米とは比べ物にならないほど大部数ですし、テレビ局も大きなところにまとまっています。
それらのメディアに対する国民の信頼度もある程度高いものです。
しかし詳しく見ていくと違う点が見えてきます。
日本では「マイ・メディア」という感覚を持つ人が少ないのです。
アメリカでは党派の支持を明確にするために、そのメディアの言うことは自分のものと近いという感覚を持てるのに対し、日本ではどのメディアでも言うことが似たり寄ったりで、本当に自分の考えと近いものは見当たらないということになっています。
そのため、メディアの言うことは信頼はするものの、何か違うものがあるという感覚をすべてのメディアに対し持つという状況です。
これが日本人の多くがニュースなどの報道を見るのは見ても何か無関心という態度につながります。
産経新聞などが右翼の党派性を強く打ち出し、ある程度の支持を集めたのが少し目を引きますが、逆に左翼の立場を標榜するメディアは現れません。
左翼というものは消え去るということなのでしょうか。
マスメディアに対する不信感からネットを使ったソーシャルメディアというものが浸透してきました。
しかしそれらの情報の信頼性が薄いことは問題であり、しかも多くの人がそれを意識しています。
ファクトチェックというものの必要性が叫ばれ、それを行なう団体も発足していますがその活動には限界があり、多くのフェイクニュースが広まってしまいます。
このような情勢で、日本の特性としての「無関心」は非常に危ういものを持っています。
メディア不信というものが新聞社の衰退といったことにつながっても、それは新聞記者などの「エリート集団の衰退」とだけ見られ、その代わりに何が必要かというところに向かわないままです。
これでは一部の政治家などがポピュリズム的手法を使って大衆を操作する危険性が大きくなります。
日本人の多くがサイレントマジョリティーであり、そのままプロパガンダに従ってしまうということになります。
その危険性を乗り越えるためにも、メディア不信というものが「ポジティブな不信」となるようにするべきだということです。