アメリカでトランプ大統領がフェイクニュースという言葉を連発し、これまでの世論を代表しているかのようであった大手メディアに対する不信感が増しているようです。
実はこれはアメリカだけの問題ではなく、イギリスやドイツなど欧米各国でも大きな動きとなっています。
しかし、これまでの大手メディアというものの性格がかなり異なることから、メディア不信と一言で言っても各国によりその内容にも違いはあるようです。
あとがきにもあるように、「あたりまえ」のようにあるものに対して疑問を持ち調べるということは、科学的な思考の基本なのですが、社会現象を相手にした時にはこれはかなり難しいものです。方策としては、歴史的な動向を見ること、そして国際的な比較をすることが有効だそうです。
そこで、著者はこのようなメディア不信を探るために、ドイツ・イギリス・アメリカと日本を調査しその共通な部分と異なる部分を分析することでその本質に迫ろうとします。
ドイツでは他国と比べマスメディアに対する信頼もこれまでは高く、現在でも新聞やテレビで情報を知るという人の割合が高いようです。
これには情報戦略を効果的に使ったナチスの手法に対する反省から、メディアの自由と自己規制というものが強かったためですが、難民問題が大きくなってくるにつれ報道も難しくなり、右翼勢力からのメディア攻撃も強まりました。
伝統的にリベラル傾向が強かったメディアが右派勢力の台頭でどうなるかが問題です。
イギリスでは、いまだに根強い身分社会を反映し、高級紙と言われるガーディアンやフィナンシャルタイムズといった新聞と、大衆紙の報道姿勢が従来からまったく分離していました。
EUの離脱をめぐる国民投票の実施にあたり、この大衆紙と呼ばれる新聞が数多くの虚報を流したという疑惑があります。
もともとそういった大衆紙ではゴシップやセックス記事が多く、記事に対する信頼もあまり得られないまま大量の部数を売っていたのですが、こういったところからさらに信頼性を失い、ネット情報の方をより信頼するという人々が増えてしまったようです。
一方、テレビのBBCは公共放送という縛りがきつく、報道も公平にとするあまりに効果的なフェイクニュース糾弾もできず、新聞社の争いにほとんど為す術もなかったようです。
アメリカでは建国以来の伝統で、政治もできるだけ「小さな政府」で市民自治には介入せず、自由をなにより重視することになています。そのため、メディアも公平ということをあまり強調せず、各社ともに支持政党を明らかにしてその主張に従った報道をする傾向があります。
つまり、アメリカではメディアも競争を前提とした資本主義市場原理で動くということです。
また、ジャーナリストというものもその地位が高く収入も多額になりました。
そのために、ジャーナリスト=エリートというイメージが定着し、ほとんどの記者が白人・エリート・リベラル・男性ということになってしまいました。
最近でこそ若干の女性が進出はしてきましたが、その傾向は強いものです。
そこに、多くの労働者などの大衆が不信感を持つ余地ができました。
エリートの作る記事は上層階級の利益に直結するものであるという印象が強くなりました。
そこが、トランプがつけこんだ隙間です。
既存メディアのほとんどがクリントン支持に回り、トランプ圧倒的に不利という状況を逆手に取り、かえってウォール街、大企業、とともにメディアも同類という印象を与え、それに対抗するトランプという売り込みに成功しました。
大統領就任後のメディア攻撃もその継続なのでしょう。
日本は各国とは相当事情が違います。
日本は「マスメディアの国」と言うことができます。新聞の売上部数は他国とは桁違いに大きいものです。
さらに、地上波テレビも一応地域ごとに別会社が存在しますが、ほとんどの番組を東京のキー局から配給され、それを流すだけのものになっており、全国一つの系列が並列していることになります。
さらに、日本ではそのテレビ局が全国紙という新聞社と系列化しておりメディア寡占化が成立しています。
しかし、そういったメディアに対する信頼度はあまり高くはないようです。
アメリカでは、「メディア全体に対する信頼度」は低いのですが「自分の好みのメディア=マイメディア」に対しての信頼度は極めて高いと言う特性があります。
またドイツもイギリスも公共放送に対しての信頼度だけは高い数値を示します。
日本では、どのメディアに対しても信頼度が同程度であまり高くはないというのが特徴になっています。
つまり、日本人はどのメディアも完全には信頼せず、他人事とか別世界と考えているようなのです。
ニュースと言うもの自体から距離を置く、これは特に政治などの分野で顕著であり、やはり民主主義というものが根付いておらず政治などは政治家たちが勝手にやっていて自分たちには関係ないという意識が反映しているのでしょう。
日本ではメディアの多くが党派性から極力離れようとして、中道を標榜してきました。
しかし、産経新聞がそのあまりの売れ行き低下に危機感を覚えてか、はっきりと右翼に加担する姿勢を取り、また読売もその方向に近づいています。
これに対し、左派はそういったメディア戦略に出ることができず動きが取れないようです。
こういったメディアの不振はネットの興隆によるものが多いのですが、そのネット空間というものは、かつて考えられていたように自由で開かれているとは言えず、逆にどんどんと閉じてしまうということが明らかになってきています。
効率的に情報を得るために「フィルター機能」というものが発達してきたのですが、それがネットから得る情報を制限し、「自分のお気に入り」の情報しか通さなくなってしまいました。
さらに、ネットに溢れる情報を利用しようとする政府や企業の動きも強まるばかりで、危険性は大きくなっています。
メディアというものの将来は厳しいものがありそうですが、できるだけ早く真剣な対応が必要となっているようです。