著者の阿川弘之さんは、戦後すぐに話題の小説を発表しました。
その題材は戦争に関わるものが多かったのですが、彼自身は非常に乗り物好き、特に鉄道はマニアというほどの愛好者でした。
この本は、昭和33年に出版された「お早くご乗車願います」という本の内容と、昭和47年頃に読売新聞に連載した「乗りもの紳士録」を合わせたものです。
「お早くご乗車願います」は昭和30年前後の鉄道事情を、ファンの目からあれこれと書いたエッセイ集で、特に一貫したテーマはありませんが、すでに有名作家として名が知られていたために、国鉄で講演会をしたり、その縁で機関車に添乗したりといった、なかなか普通ではできない体験なども記されています。
「乗りもの紳士録」では、鉄道だけでなく飛行機や船も舞台として使い、著者が親交のあった作家などとの出来事をあれこれと書いてあり、阿川さんの人柄もさることながら他の人々の裏で見せる素顔まで書かれています。
この本は昭和48年出版、私が買ったのもそのすぐ後のようで、購入した大学生協のカバーをつけたままになっています。
子供の頃から鉄道ファンであった私なので、この本の内容にひかれて買ったのでしょう。
著者の「阿川弘之」という名前もその作品もほとんど知らないまま買って読んだため、阿川弘之という作家のイメージもこの本からのものが優先するようになってしまい、他の作品を読む気がなくなったままです。
中で取り上げられているエピソードで、その後もずっと強い印象を受けているものがあります。
列車の運転士の中には、自分の運転する列車に人が飛び込んで自殺をするという経験をする人が少なからず居るのですが、やはりかなり嫌な思い出となるようです。
そのために、その後も線路のそばに人が立っていると必要以上に警笛を鳴らしてしまうとか。
今でもそうなんでしょう。
雑誌の取材を依頼されて、特急「はと」の機関車に東京から熱海まで同乗したという記事も載せられています。
その当時も東海道のその区間はすでに電化されており、乗った機関車はEF58の48号という電気機関車ですが、やはり乗り心地は悪かったようです。
しかし、その書き方はさすがに鉄道マニアというもので、ファンの興味のツボを押さえた的確なものでした。
なお、昭和30年頃にはまだ「特急こだま」も実現していなかったのですが、これが走り出したらという仮定で「ビジネス特急の走る日 架空車内アナウンス」という一文もあります。
新幹線が開通するまでのわずかな期間でしたが、「ビジネス特急こだま」というのが光り輝いた時代もありました。
東京大阪を6時間で結ぶという、当時としては驚くべきスピードで、「日帰りで仕事ができる」ということで大きな話題となったものです。
それが走ったらこんな車内アナウンスもあるのではということで、阿川さんが想像して書いているのですが、まああまりにも鉄道マニアらしい文で、こんなことを本当にアナウンスしたら乗客から文句が出るでしょう。
他にも昭和30年前後という、鉄道がまだ交通の大部分を占めていた時代の香りを充分に伝えてくれる文章が連なっています。