爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「車掌の仕事」田中和夫著

鉄道の列車の車掌と言えば、列車の一番後ろの車掌室に乗っていて、ドアの開け閉めをして車内放送をするというのがイメージでしょうが、実はその他にも多くの仕事をこなしているようです。

 

著者の田中さんは昭和27年に当時の国鉄に入り、その後車掌となって昭和62年まで勤務、その後は退職して著述業をされているということです。

鉄道における「車掌」という業務について、細かく解説されています。

 

昔は電報で色々な情報をやり取りしていたため、様々な略号が使われていましたが、車掌を「レチ」、専務車掌を「カレチ」と言うことだけは知っていました。

鉄道ファンだったためですが。

しかし、それが「レチ」は「列車長」から来ており、「カレチ」は「客扱い専務車掌」から来ているということは知りませんでした。

車掌という職はそれほど重要だったということです。

なんとなく、運転士が一番といったイメージを持っていましたが、そうではなかったのが伝統だったようです。

 

車掌の職務として一番印象的なのが、「車内放送」ですが、これも昔からあったわけではありません。

1933年、昭和8年に北海道で帝国鉄道協力会総会というものが開かれ、そこに出席する人々のために特別列車を走らせたのですが、その車両に拡声器とそのための発電機などを備えたのが車内放送の始めだったそうです。

なお、戦後には各車両にアンプを取り付けたところ、しばしば盗難にあったため、車掌が乗務にあたって携帯して乗り込むことになり、最初は真空管式のために非常に重くてかさばるもので苦労したということです。

 

乗客のさまざまな問題に対処するというのも車掌の接客業務として、重要なものですが、その記録をするのが「業務連絡書」というものでした。

著者が経験した中で印象的だったものが記されています。

離婚話のもつれから、妻が子供を連れて実家に帰るために列車に乗ったのですが、夫が乗車券などを奪い取ってしまったそうです。

そのまま妻は乗車券なしで乗ってきたので、話を聞いた著者は駅を通して実家の妻の親に連絡し、そのまま乗せてくれれば着駅で経費を支払うという確約を受けて乗車券の代わりとなる連絡票を発行し、そのまま旅を続けてもらいました。

その後のその母子は幸福に暮らせているだろうかと結んでいます。

 

鉄道施設などの紹介もされていますが、線路の勾配を表す単位としては「パーミル」が使われます。

これは「パーセント」が「per cent」すなわち「百分の」を示すのと同様、「per mil」すなわち「千分の」という意味です。

パーセントは「%」という記号で、パーミルは「‰」という記号を用いるのですが、本書では「パーミル(%)」と表示されていました。

誤植ではないようで、2か所に同様の表記がありましたが、北海道ではこう記す習慣があったのでしょうか、確認できませんでした。

 

北海道で走っていた車両などの紹介も詳しくされていました。

中には、乗務員ならではの話も載っており、ファンでも知らないことが分かりました。

キハ21形式という昭和32年から配備されたディーゼル車があったのですが、一応の耐寒設備はされていたものの、出入り口に仕切りドアがなく、出入り口ドアは半自動なので完全に閉めることを確かめることができず、発車のたびに車掌がホームを走り回ってドアを閉めて回ったそうです。

そのため、すぐに改良の措置が取られ、昭和33年には出入口を車両の前後の端に移して客室との間に仕切り扉を設けたキハ22形式が導入されました。

 

本書は2009年の出版であり、まだ北海道新幹線の開通以前でした。

それがさらに札幌まで延伸するという、期待に満ちた記述で終わっています。

JRでも特に北海道は経営が厳しく、路線廃止や業務縮小が相次いでいますが、田中さんはどう感じているのでしょうか。