オピニオンといえば意見とか世論といった意味の言葉だと思っていましたが、どうやら政治思想の専門用語として特別な意味があるようです。
この本はそのオピニオンに即して千年に渡る政治思想を論じるといったもので、題名から想像していた内容とは全く違ったものでした。
それでは「オピニオン」とは何か。
あまり自信が持てませんが、どうやら国民が抱く政権への思いといったもののようです。
そのため、現代の民主国家だけでなくかつての王国、専制国家といったところでもオピニオンというものがあり、皇帝と言えどオピニオンの支持なしには存立できなかったということです。
ただし、その国に暮らすすべての人がオピニオンを持っているとは言えず、たとえば古代ローマ帝国やイスラムの帝国ではせいぜい貴族や兵士たちのみがそれを持ち、庶民はただ働くだけの存在だったとも言えるようです。
そういうわけで、この本でも中世の王制国家、近代の絶対王政、そして革命、さらに現代のナショナリズム国家、そして未来と論じています。
著者の堤林剣さんが慶應義塾大学法学部政治学科で行なっている「政治文化論」の内容に大幅に加筆して仕上げたということで、専門の政治論ですから簡単なはずもないのですが、縦横無尽に引用文献を使いこなし組み立てていくもので相当歯ごたえのある内容となっています。
近代以前の国家にもオピニオンがあったとはいえ、やはりそれが最も力を発揮しているはずの政体は現在の民主国家であるはずです。
ところがこれがこれからもずっと続くとも言えないようです。
国家権力を握ったものから見れば、被支配者が文句ばかり言う存在であることは邪魔なばかりでしょう。
それをできるだけ圧殺しようとするのが今の政治権力かもしれません。
暴力に任せてやり遂げようとするならず者国家か、テクノロジーの粋を尽くして管理を徹底しようとするあの大国のような国家か。
それが未来の国家の姿かもしれません。
オピニオンを前提としない国家というものも存在します。
豊富な天然資源に富み、国民の税金などは取らなくてもやっていける国があります。
税金を取らない代わりに国民には何の口出しもさせないということになります。
中東やアフリカの国にそういった実例があり、それは「資源の呪い」と呼ばれる状態になっています。
これらの国でも90年代以降は一応の体制として選挙を行なうようになりましたが、それは外国向けのポーズにすぎずそれで権力が交代した例はありませんでした。
本書ではそういった国の例としてアンゴラを取り上げていますが、そのような国家権力のために多くの国民が命を落とすといったことになりました。
いやはや、新書版の割には難しい本でした。