爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

袴田事件再審に判断。しかしこのような「司法判断」しかできない連中が司法を担っているのか。

袴田事件の再審を行なうかどうか、判断が下りるということです。

www3.nhk.or.jp

袴田事件とは57年前に起きた一家4人殺害の強盗殺人事件で、袴田巌さんが犯人とされて死刑判決、しかし袴田さんはずっと無実を訴え続けてきました。

その判決の決め手となったと言われるのが、現場近くの味噌樽の中に残されていた袴田さんの衣服でそれに血痕が付着していたことから有罪とされたのですが、弁護側の主張で1年間も味噌に漬け込まれていれば血痕は赤味を示さないのでこの証拠は捏造だというものでした。

 

それに対し、検察は自分たちでも味噌に1年間血痕が付着した布を漬け込んだが赤味が残っていたとして再審請求の棄却を求めているというものです。

 

これが「司法判断」の根拠だということですが、まるで子供の理科実験に等しい杜撰なものだということは明らかでしょう。

「僕らがやった実験ではこうだから大丈夫だもんね」などと言うのは科学的判断とは言えません。

多くの現象は常にこうであるか、こうではないかといった二分され得るものではなく、確率論的に出現します。

「味噌樽に1年漬け込んだ布の血痕は赤いか」とは正か非かの二分に分れるはずもなく、ある場合には赤味が残りある場合には無くなるといったことは簡単に推測できます。

問題は犯罪現場で衣服が入れてあった状況でどうだったかであり、検察の部屋の中で実験したものがどうかは全く参考程度にしかなりません。

 

この程度の科学的思考の欠如した頭しかない連中が国の司法を担っている。

まあそういった裁判ではまともな判決が出るはずもありません。