爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『人望』の研究」小和田哲男著

小和田さんは戦国時代が専門の歴史学者ですが、一般向けの本も多数書かれており、また歴史ドラマの時代考証を担当していることでも有名です。

 

この本では歴史上の人物の生き方を参考に、「人望」ということについてあれこれと記しています。

 

「あの人には人望がある」という評価をすることがありますが、それでは人望とはなんだろうかというとそこまではっきりとしたイメージは固まっていないようです。

 

単に「人気がある」というのとはかなり違うようです。

歴史上の人物で人気があると言えば、真田幸村源義経が挙げられます。

しかしこの両者とも戦上手であることは史上有数であることは間違いないのですが、人望があるかと言えば幸村もさほどではなく、義経では全く無いと評価せざるを得ません。

どうやら人気があるというものには、その最後が悲劇的といった要素も関係しています。

 

宗教的なカリスマという人物もいます。

有名なところでは邪馬台国卑弥呼ですが、これが「人望がある」かと言えばそれも違いそうです。

詳しい伝記はありませんが、各国が相争い乱れた時に年若くして王となり国が治まったと言われています。

そこにはシャーマンとしての力はすごかったのかもしれませんが、それは人望があるということとは違いそうです。

 

武将や軍人の場合、人望があるというためにはやはりとにかく戦上手でなければ話になりません。

弱い武将はいくら人柄がよくても生き残れません。

しかしそれだけでは周囲がついてこない。

家臣や部下をその気にさせるというのが人望のあるなしです。

そのためにはリーダーシップが必要ですしある程度は厳しさも要ります。

また場合によっては自ら先頭に立ち危険を冒すといった行動も必要です。

このような「人望のあった人」は戦国武将であれば成果をあげた大名はそう言えるようです。

信長、秀吉、家康といった面々は当てはまるのですが、ただし一生その評価が成り立つかというとそう行かないところが厳しいものです。

あるところまでは人望を集めて国をまとめていったものの、何かが違ってきてしまい最後は反乱を招いたり、死後息子が攻められたりということになります。

 

人望があるという人より、「この人には人望は全く無し」という人物を見ていく方が分かりやすいかもしれません。

気配りが全く無かった酒井忠清、粗暴であったり酒乱であった芹沢鴨黒田清隆、頭脳明晰であるが謹厳過ぎた大久保利通や杓子定規だった石田三成、天狗になってしまった源義経、優柔不断がひどかった足利尊氏など、ある程度の歴史的な重い役割は果たしたものの人望は無かったという人も多かったようです。

 

他にも「人は責任を取れる人についていく」とか「慈悲の政道が求められる」とか、耳の痛い話が続きます。

まあ人望なんていうものは求めている間はダメだと思いますが。

 

私も在職中は管理職も勤めましたが、部下の人望が無いことにかけては自信があるほどでした。?

なぜだか分かりませんが(と言っておこう)