爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「温泉の平和と戦争」石川理夫著

温泉と言えば保養地、観光地となっていますが、かつては「信玄の隠し湯」などと言われていた温泉もあり、それは戦で負傷した兵士たちが治療のために湯治をしたからとされています。

これは日本の話だけでなく、ヨーロッパなどでも温泉を傷病の治療のために使った湯治場というものがありました。

そういった、温泉の「平和と戦争」と題し、東西の温泉文化を見ていくという本です。

 

隠し湯」として使われた場合は一方の側だけかもしれませんが、よく知られた温泉地に湯治に出かけるという場合には敵味方無しに温泉に浸かるということもありました。

南北朝時代に書かれた「源威集」という書物には、温泉に敵味方無しに浸かる様子が描かれているということです。

こういった様子は中世ヨーロッパにも見られたそうで、あちらではそうした温泉地をアジール(不戦地域、平和領域)と見なし、そこでの戦闘行為は慎むという共有概念があったそうです。

なお、古代ローマでの公衆浴場は有名ですが、その後キリスト教化したヨーロッパ世界では風呂に入る習慣がなくなったと言われていますが、実際には条件の合うところでは入浴するということが広く行われており、特に温泉地は今に続く有名なところが数多くあったそうです。

 

そのような「平和」のイメージの強い温泉ですが、その発見の伝説には「何々の隠し湯」ということが広く言われています。

その何々の部分には古代から戦国にかけての武将の名が入り、いずれも戦での負傷を癒すために探し出されたとされています。

温泉の効能は一般的な病気もあげられますが、やはり戦での負傷を癒すというのが一番の目的と考えられていたようです。

なお、そこに引用される武将たちは歴史的に見ればその温泉を発見したとは考えられないことが多く、その温泉の広告宣伝のために名前を使われただけということが多いようです。

古くは坂上田村麻呂、そして源氏の八幡太郎義家、頼朝、義経等々。

そしてこれらの名前を使って開湯伝説を伝えるのは関東から東北の方面が多いようです。

 

ただし、戦国時代の大名の場合は単なる「名義」だけでなく実際に負傷兵士の治療に使った可能性もありそうです。

武田信玄上杉謙信などはその領国に温泉が何か所もあるということもあり、どうやら負傷者湯治ということが行われていた例があるようです。

また当時はすでに一般の湯治客という人々も現れており、それらからの収入を藩財政の収入とするということも始まっており、かなりの重要な役割でした。

 

ヨーロッパでも高名な湯治場を様々な政治利用するということがありました。

第二次世界大戦時にナチスドイツに占領されたフランスで「ヴィシー政府」と言う傀儡政権が立てられましたが、その「ヴィシー」というのはフランス東南部でドイツ占領地ではなかった地域の温泉地だったそうです。

既にホテルが何軒も立てられており政府としても都合がよかったとか。

 

今は保養地としての性格ばかりが強いような温泉ですが、歴史的には色々あったようです。