歴史好きという人にはかなりの比率で戦国時代が好きという人がいるようです。
有名な大名や武将のファンという人も多く、その合戦なども興味を集めます。
テレビでも戦国時代を題材としたドラマは繰り返し流されています。
しかし、武田信玄や上杉謙信が人気を集めたとしても、そこには多くの兵士や民衆の犠牲があったということにはあまり目が止められることはありません。
うわべだけのカッコよさだけでなく、当時の本当の姿がどういうものかということも知ってもらいたいというのが、戦国時代の歴史研究の専門家である著者が言いたかったことです。
織田信長が比叡山や各地の一揆で男女問わず虐殺したということは信長の残虐性を示すという風に言われていますが、「義の人」と称される上杉謙信でも落城した敵は家族もすべて殺したということも何度もあり、また女性や子供を奴隷として人買いに売ったということもありました。
敗者を人身売買したということは戦国時代には広く行われていたことであり、それも勝者の戦利品の一部でした。
それがようやく止められるようになってくるのは戦国時代末期になってのことであり、領国の支配が広がるにしたがって国内の安定が必要となり禁止令が出てくるようになります。
とはいえ、これを戦利品として重要視してきた武士たちの反発も強く、完全に禁止は難しいことでした。
大名同士の戦いといっても、その付近の民衆は非常に危険な状態であり、略奪や拉致といった被害を受ける恐れが強かったので、そのような場合は山間などに逃げるということがありました。
山小屋と表記される、民衆独自の退避施設があったということが文書にも残っています。
また、若い男性たちは武装して防衛するということもあり、それで軍隊を撃退したということもあったようです。
戦国時代の大名の多くが神仏の信仰があつく、信玄も謙信も出家していたことは知られています。
殺生を禁じる仏教をどうして戦いを正当化できていたのか矛盾のようですが、それでも皆神仏にすがっていました。
戦いの前にはそれぞれが進行する神仏(信玄は諏訪大社、謙信は毘沙門天)に戦勝を祈願して出陣しました。
神仏もどちらを勝たせるか、困ったことでしょう。
戦国時代は食料難もひどいものでした。
戦いが相次いだために生産も滞りがちだったのでしょう。
食料を奪い合うということがまた戦いの理由にもなりました。
そのために、戦国大名は新田開発も盛んに行いました。
信玄が治水工事を大規模に行なっていたのは有名な話です。
この工事は城の石垣工事にあたった人々の技術力向上に助けられたという面もあったようです。
そういった生産力向上なども含めた国力の増強が戦国大名の力を決めていったのでしょう。
本書最後には、戦国時代を振り返って現代を見直す必要があることが書かれています。
理性と科学で昔とは違うような気になっている現代ですが、本当に戦国時代とは違うのかどうか。
一つ間違えばかつての悪夢がよみがえるかもしれません。
英雄ドラマの歴史劇だけを楽しんでいるとどうなるか分かりません。