古代から現代まで日本列島と朝鮮半島とは頻繁な行き来で多くの人々が交流し、様々な事物がやってきました。
それが言葉の中にも残っており、現在の術語に朝鮮半島の言葉の痕跡が見られることも多いようです。
著者の鄭大聲さんは韓国料理研究家として知られ、大学教授やモランボン研究所所長も勤められてたそうですが、この本で紹介されている事物の調査には日本全国を歩き回ったようです。
扱われている食物およびその関連物品は、すし、酒、漬物、ニンニク、豆腐、厨房道具、陶磁器などです。
厨房器具として、釜(かま)、竈(かまど)は今ではあまり使われなくなっていますが長い間日本の厨房ではなくてはならないものでした。
ここに共通する「カマ」という部分は朝鮮の言葉がそのまま由来したそうです。
なお、竈を「くど」と呼ぶ地方もありますが、この「くど」も朝鮮由来の言葉であるようです。
土器は日本でも古くから使われていましたが、それが大幅に刷新され発展したのには豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に半島から多くの陶器製造技術者を連れ帰ったことが関わっています。
そのため、陶磁器に関わる言葉にも朝鮮の影響が多く見られます。
日本で「茶碗」と呼ばれているものの多くは「茶器」ではなく食用に使われています。
これは朝鮮のそういった陶磁器の呼称である、「磁碗」から由来したようです。
これは朝鮮語では「チャワン」と読みますので、日本でその同じ読みの文字である「茶」に入れ替わったものと考えられるそうです。
他にも湯呑、丼、皿、急須、徳利といった呼称も朝鮮由来のものが多いとか。
トウガラシは漢字では唐辛子であり、「唐」は中国の意味だけでなく朝鮮も含むことが多いため、朝鮮からやってきた辛子と考えられていたようです。
しかし、朝鮮半島ではかつてはトウガラシのことを「倭芥子」(ウェギョジャ)すなわち「にほんがらし」と呼んだという記録が残っています。
実はそれ以前に南蛮貿易で九州に伝わっていたトウガラシが朝鮮に伝わったようです。
しかし、九州から日本の他地方には広がっていなかった。
そのため、秀吉の朝鮮出兵の際にやってきた日本の兵士たち(九州以外の出身者)は朝鮮で初めてトウガラシに出会い、そして国に持ち帰ったようです。
そのため、九州以外の地域では唐から持ってきた辛子ということでトウガラシという名前になりました。
かつては九州では唐辛子のことを「南蛮辛子、南蛮胡椒、あるいは単に南蛮」と呼んでいましたが、それも当然なのかもしれません。
朝鮮の影響は古代から繰り返し受けてきたということがよく分かります。