英語の本だと思って読み始めましたが、実は「ロジカル・シンキング」の要素の方が強いものでした。
もちろん英語で論理的な文章を組み立てていく例というものも豊富に掲載されていますが、あくまでも論理の構築の方が主というものです。
というのも、著者の遠田さんは翻訳家として活躍していますが、ディベートの訓練も十分に行ってきておりそちらの方に興味も強く持っていたようです。
ディベートという言葉には、討論・議論という意味もありますが、現在広く使われている用法では、「教育的ディベート」すなわち討論の訓練として本来の持論とは別に仮に主張を当てはめてそれに沿った議論を進めさせるというものがあります。
日本ではまだそれほど一般的ではないのでしょうが、アメリカでは教育機関でそれを実施することもあり、議論というものを技術的に習得していくということです。
それに傾倒しすぎるというのも少し問題かとも思いますが、しかし日本のようにまず議論する姿勢というものすら身に着けることのない文化というものも国際化にはふさわしくないということでしょう。
そのようなディベートに慣れ親しんだ著者が、英語に置き換える前にまず日本語で論理の組み立てを行い、そこから英語に訳していけば十分に議論を進めることができるとしてその方法を伝授していきます。
「論理的であること」はそれほど難しいことではないそうです。
それは個人の才能や資質とは関係なく、訓練で身に付くスキルだということです。
そのためには英語に習熟するというよりは、まず日本語で論理の型を知ることが必要であり、それは母語でこそきちんと作ることができるということです。
「論理の型」とは、一言で言えば、意見・主張(Opinion)を述べ、理由(Reason)を説明し、事例(Example)を占めることです。
これを本書では「ORE」と略して使用しますが、このOREを「積み木」のイメージで作り上げていくことを「積み木メソッド」と呼び、それを習得すれば英語であろうと日本語であろうと、そしてディベートの場だけでなく会社で企画を説明する、就職の面接、人前でのスピーチやプレゼンなど、いろいろな場で自分の意見を堂々と述べることができるようになれます。
OREの特徴は、まず「最初に要点を述べること」です。
英語に限ったことではありませんが、まず最初にpointを示すことは英語では特に重要です。
OREの積み木では、まず最初に「意見」のピースを一番高いところに置き、「理由」と「事例」のピースで下から支えるというのがイメージです。
なお、アメリカではディベートの訓練を始めるよりはるかに前の小学校低学年の頃から、先生が子供たちに話をさせる場合にも「Because」と語らせるように仕向けることが印象的だったそうです。
「将来何になりたいのか」と尋ね、子どもが「パイロットになりたい」と言うと、かならず「それはなぜ?」と聞くそうです。
日本ではそこまで意識的に子供を誘導することは見られないようです。
ディベートの場では「反論」というものが重要です。
どうも日本では反論するということについて、否定的なイメージを持たれるようですが、これが無ければディベートは進みません。
反論というものは、最終的な目的は問題解決であり、物事を深く考えるためには不可欠なものです。
日本のように対立を避け和を優先するということで反論も避けるということでは、考えるということ自体おろそかになるのでしょう。
建設的な反論というものは議論を深めます。
ただし、「異論を尊重する」「人ではなく意見に対して反論する」「柔らかい態度で話す」という姿勢は忘れないようにしたいものです。
議論のスキルだけでのし上がっていくようなイメージのアメリカ社会ですが、やはり最低限の技術というだけでなく、思考の基本としてこういったことを身に着けておく必要があるのでしょう。