爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「すべてが武器になる 文化としての〈戦争〉と〈軍事〉」石川明人著

武器といって思い出すのは、昔で言えば刀や槍、今は大砲やミサイルといったものでしょうが、戦争はそれだけでできるものではありません。

近代からの戦争は国を挙げての総力戦となりましたが、そこには戦争遂行のために必要なあらゆるものを製造する工場も必要ですし、現代に至ってはさらにその範囲は広がりすべてのものが戦争のためとも言えるようなものです。

 

男の子なら誰でも覚えがありそうなのが、戦闘機などのプラモデルに夢中になることです。

それが戦争の道具であり、人の命を奪うことを目的として最適化されているということを知る前に、その「カッコよさ」に心魅かれます。

しかしこれは今に始まったことではなく、どの時代でも武器というものは人の心を惹きつけずにはいないものだったようです。

多くの文明で刀というものが美術品としてもすぐれたものとなっており、また権力の象徴として王権のシンボルと見なされているところもあります。

 

一方、思いもよらないものがもとは「武器」として使われたということがあります。

第二次大戦中、イギリス軍は戦場の足場が悪い場合にそこにカーペットを敷く「カーペットレイヤー」という兵器を作り上げました。

チャーチル歩兵戦車を改造し、巨大なロール状のカーペットを走りながら敷いて回ったそうです。

一般的な用具として使われるようになったものでも、「梯子」や「鉄条網」は明らかに戦闘用の兵器から始まっています。

ヘルメットや腕時計といったものも始めは軍事用でした。

さらに、ボールペンも戦場での使い勝手を良くするために改良されたのが始まりでした。

 

戦争も大がかりなものとなり、長期間続くようになると食料をどうするかが大問題となります。

「保存食」と言われるものの多くはやはり戦争用として工夫されたものでした。

乾パンと言われる、乾燥させたパンは非常に硬くて食べにくかったものの、腐りにくくまた食べる際に焼く必要もなかったために戦闘に携行するには最適のものでした。

中世のヨーロッパなどでは乾燥肉、干し魚なども使われました。

燻製食品も重要なもので、古代ローマ兵も燻製にしたソーセージを数珠つなぎにしたものを携行したそうです。

軍事用として発明されたことが有名なのは、缶詰でナポレオンが軍事用の食料の発明を公募した際に二コラ・アペールという人物が考案したそうです。

その後どんどんと改良され、南北戦争第一次世界大戦などでは主要な食料となりました。

 

道具や器具、部品などを標準化するというのは近代の工業技術として非常に重要なものですが、それも発端は軍事用だったようです。

銃などの兵器の部品に互換性を持たせることにより、修理しやすくするということはすでに18世紀には始まっていました。

それまでは銃の一丁ずつ職人が作り上げるというスタイルだったのですが、それでは部品に不具合があっても交換もできません。

どの部品であっても使えるようにする互換性というものはその後の軍事力整備に不可欠だったようです。

とくに「ネジ」の標準化というものはもっとも基本的なものであり、それを成し遂げることで兵器製造と修理も格段に進歩したのですが、それは一般的な工業技術の進歩にもつながりました。

 

戦争が世界的な規模となると、敵国もたいていは違う言語を話すということになります。

そうなると「語学」も非常に重要な武器と考えることができます。

アメリカ軍は日本との緊張が高まるとすぐに陸海軍の中に日本語学校を作り、多くのの日本語話者を養成しました。

彼らは捕虜の尋問や日本語文書の解読などに大きな力を発揮しました。

なお、語学に留まらず日本文化の研究も進められそれも一つの武器となりました。

ルース・ベネディクトの「菊と刀」は出版されたのは戦後になってからですが、これもその研究の目的は日本の戦時研究であったということです。

その点、日本は英語のみならず中国語や東南アジア諸国などの言葉もほとんどまともに考えようともしませんでした。

初めから勝てるはずも無かったということでしょうか。

 

結局はすべてが武器になるということでしょう。

現在でも戦争状態とは言えなくてもコンピュータを用いたサイバーテロが相次いでいるようです。