爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

このブログの「読書記録」について。

このブログでは国際情勢や政治経済、環境問題や食品衛生のニュースなども取り上げますが、やはり大きな柱が「読書記録」です。

 

「書評」というものが多数書かれており、新聞紙面で大きな場所を占めたり、それだけの本も出版されていますが、私の場合はとてもそのように名乗る自信はなく、せいぜい「読書感想文」程度かとも思いますが、一応「読書記録」としています。

 

これには自分の中での事情もあり、今はだいたい2日に1冊程度の本を読みますが、さすがにそのすべてを頭に入れておくというのは不可能であり、読んだという記憶を書き留めておくことが後々に必要となることもあります。

今でも時々、前に読んだ本について情勢変化や諸般の事情により振り返りたいということが時々あり、それを思い出すためにもこの読書記録は重要な必要性を持っています。

 

もちろん、ブログの読者の皆様にその内容について伝えたいという思いもあることが多く、そういった文章になることもしばしばです。

時々、「これを読んでその本を読みたくなった」というお声を頂くことがありますが、非常に嬉しく思います。

 

ただし、逆に「こんな本は読まない」と言われてしまうのは少し困ったものです。

というのは、その本の著者の方の本を書いた想いというものを私が理解できないということも多いのではないかと思い、この「読書記録」に書いた文章はまったく的外れということも往々にしてあるということを自覚しているからです。

 

その例が最近生じました。

「クジラコンプレックス 捕鯨裁判の勝者は誰か」という本を読み、その読書記録を書いて公開したのですが、それに対してブックマークコメントに次のような文章が書かれていました。

なお、投稿者のお名前にはあまり見覚えは無く、常連の方ではないのかもしれません。

連続性がないからという理由で伝統を否定するの、日本人はご飯食だが、今の形の電気炊飯器が成立したのは1980年代からであり伝統がない、みたいな結論ありきの議論なんで、これだけでも酷く偏ってそうな本だなと思う

こういった内容のコメントですが、これはあくまでも私の読書記録の文を読んでのものと思われ、元の書籍の内容とは直接の関係がありません。

それでこういった判断をされた場合、私が著者の方に負い目を負うことにもなり兼ねません。

 

まあ、私の読書記録を読んでどのような感想を持つのも自由なんですが、せめてそれは自分の心の中だけに止めておいていただきたいと思います。