爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

戦地報道はどの程度真実を含むのか

テレビや新聞などを見ると毎日のようにロシア軍の攻撃で被害を受けた人々が登場、民間人死者が何人とか、無差別攻撃とかいった言葉が相次いでいます。

 

被害者のインタビューということでウクライナの人々の声を流しています。

まあその人たちが被害を受けたということは間違いのないことでしょう。

 

ただし、この前チラッと放映していた「ロシア人の声」では、そのような画像は作り物だとロシア人の若者たちが話している場面もありました。

それを見て、「プーチンの欺瞞に騙されているかわいそうな連中」という見方が普通なのでしょう。

 

しかし、これまでも色々な場面で戦争報道を見せられてきた古だぬきとしては、どうも完全に信じ切れないものを感じてしまいます。

 

戦地でのニュース取材というものは、非常な危険を伴うものですが、それと同時に記者が従軍する側の軍隊の厳しい統制下でなければ不可能です。

もしもそれに従わなければ生命の保障はないというのもよく聞く話です。

それではどうしてもそちら側の立場からの見方しかできないでしょう。

 

有名な例では、湾岸戦争イラク戦争の時のアメリカ軍に同行した取材記者たちの話があります。

アメリカ軍側が作り出した虚偽のニュース源も疑うことも許されず、そのまま流すしかなかったということでした。

 

現在のウクライナ情勢の本当のところはどうなのか。

これをどちらにも偏らない公正な取材によるニュースというものが本当にあるのなら、それを信じることができるのですが、そのようなものがあるはずもありません。

そして、あくまでも欧米の立場での報道によるイメージで動かされています。

www.yomiuri.co.jp

国連決議でもロシアによる人道状況悪化を非難する圧倒的な声がまとまっていますが、それに対するアメリ国連大使の感想が正直すぎます。

「驚くほどの成功だ」ということで、うまく仕込んで大当たりというところでしょうか。

 

ただし、どうも臍曲がりの私としてはこういった声が圧倒的になればなるほど、「ちょっと待てよ」という感覚が湧いてきます。

周り中、報道を信じ切ったナイーブな(もちろんフランス語原義ですが)日本人たちの「ウクライナに同情を」という雰囲気で一杯ですので、あまりそれに反する気持ちを外には出せませんが、じっと待ちましょう。