現在の天皇や皇族は通常は洋服を着ていますが、即位式などの特別な時には伝統的な衣装を着ています。
そういった天皇や公卿などの衣装のことを「装束」と言ったのですが、この本では摂関時代からの中世に確立された天皇の装束について詳述しています。
当時は装束というものは身分を表すものとして重要視されていました。
そのため他の身分のものがそれ以外の身分、特に上位の装束を着るなどと言うことは絶対にできないことでした。
そしてそれが最も厳しく定められていたのが天皇の装束でした。
この本では装束の細部まで描写するとともに、それだけに留まらず天皇や上皇、法皇の儀式や日常生活についても書かれています。
天皇の装束の種類としては、冕服(べんぷく)、束帯(そくたい)、御引直衣(おひきのうし)、そして上皇、法皇になってからの装束とあり、それぞれについて章を設けて説明されています。
装束を語る上では、天皇の生涯というのも重要なことなのでそれに従って描かれています。
天皇の装束がどのようなものだったか、古代のものまではよく分かっていません。
ようやく嵯峨天皇の時代になって確立され、それが後の時代まで踏襲されていきさほど変化もなく受け継がれていきました。
弘仁11年(820年)に定められた詔に衣服が定められたのがそれでした。
冕服は聖武天皇が初めて着たと言われていますが、それが弘仁の詔のものと一緒とは考えられていません。
さらにそれを着用したのも東大寺大仏開眼会の折りで、その後の「即位式・朝賀」とは異なるものでした。
朝賀とは年に一度天皇が臣下を引見するものですが、そこで冕服を着るというのが本来の姿であり、即位式での着用はそれより遅れて決まったようです。
しかしその後朝賀という儀式自体が行われなくなり、結局冕服を着用するのは天皇の即位式の約2時間だけとなりました。
束帯は「衣冠束帯」という言葉にも残っていますが、冕服と異なりこちらは公卿など上級貴族も着用するものでした。
もちろん公卿の束帯と天皇の束帯とは異なっており、見ればすぐにその違いが分かるようなものでした。
天皇の公事、すなわち宮廷の行事の際には着るものでした。
御引直衣は天皇が日常生活で着用するものです。
ただし、天皇には公私の区別はなくすべての生活が公でしたので、私服というものは無く、御引直衣も公服ということになります。
しかし多くの時間でこれを着用していたので、今に残る肖像画などはこの衣装でのものが多いようです。
天皇が譲位して自らは上皇となると、天皇の時に着用していた衣装からも卒業することとなります。
これを当時の言葉で布衣始(ほういはじめ)と呼びました。
これは装束の上でも天皇が上皇に変身するという儀礼であり、重要な意味を持つものだったようです。
また天皇の間は冠を着けていたのが、ここからは烏帽子を着けることとなるのも大きな違いでした。
摂関政治から院政の時代に移り、天皇は上皇となって初めて権力を行使できるようになったのですが、その象徴とも言えるのが布衣始という儀式だったのかもしれません。
現在では限られた時だけ着用される伝統的な天皇の衣装ですが、深い意味があったようです。