全国的には注目度は低いのかもしれませんが、さすがに熊本ではテレビニュースでも新聞でも大きな扱いでした。
水俣病の患者として認定しろという訴訟で、最高裁でも原告(患者)側が敗訴というニュースです。
他にも訴訟を起こしている患者団体はあるようですが、そのうち8人について最高裁でも敗訴ということです。
水俣病は全国から見ればほとんど終わった事件なのでしょうか。
しかしいまだに苦しむ患者は数多く、さらに患者として認定されない「未認定患者」と呼ばれる人々が多数存在します。
ちょっと古いデータですが、2004年時点で認定申請した患者が17000人、そのうち認められたのが2265人ということです。
水俣病の患者認定基準というものは非常に厳しく、多くの患者たちがその基準には合わないとして認定を拒否されてきました。
多くの患者たちに見られた症状が「複数なければ認定しない」という1977年の認定基準のためです。
これはその当時急増していた認定を求める患者たちをすべて認めたら補償が不可能になるという、あくまでもチッソと行政の都合によるものでした。
有機水銀を含む魚などを食べ、それで何らかの症状があれば水俣病であるというのは当然すぎるほどの話なのですが、それが通らなかったのが実情です。
それを求めての訴訟ですが、裁判所に「正義」や「科学」を求めることの虚しさを再確認しただけに終わりました。
他の事例を見ても、ないものねだりと言わざるを得ないものです。
彼らは、法律だけしか判断できません。
その法律を作っている国にしか仕えていません。
政治を変えるしかないのですが、水俣病の対策だけを理由に日本国政府を替えるという困難さ。
しかし、当事者ではない他の国民が皆考えていくべきことです。
これは水俣病だけにとどまりません。
司法に正義を求めるのは無駄であっても、政治には求めていかなければなりません。
正義とは程遠い現政権などに何も期待すべきではないということでしょう。