父の会社の通例で、だいたい地方の支社には3年間の勤務、定年前には東京に戻るという不文律のようなものがあったようです。
そのため、父の目算ではこれが最後の地方勤務、3年で東京に戻れば定年まではそのままということになっていました。
父は東京で勤務を始めたのでしょうが、その後は小樽、また東京、名古屋と転勤を重ねており、福岡勤務ということで九州は初めての経験でした。
そのため、九州という観光資産の豊富なところに来た良い機会なので、妻子にもあちこち見せてやろうと思ったのでしょうか、3年間の間にかなり色々なところに観光旅行に出かけました。
おそらくこれで東京に帰ればもう九州に来ることもまず無くなると思ったのでしょう。
まさか私が九州勤務となり、熊本出身の女性と結婚し、こちらに家を建てるなどということはまったく予想外だったのでしょうか。
詳しいことは子どもだったので良くは分かりませんが、どうも会社の出張のついでに家族を同伴し、出張が終わったら観光をしたようです。
父の会社では各県へ行って会議をするという出張が時々あったようで、各県の県庁所在地に行ったというのはだいたいそれではなかったかと思います。
もう今となってはそれを確かめる相手も居なくなったので、本当のところは分かりませんが。
とにかく、3年間の間に観光に出かけたのは覚えている限りでは以下のようなところです。
鹿児島、宮崎、別府、熊本、長崎、阿蘇、北九州、下関、秋吉台、唐津
各県まんべんなく出かけているという点、および中心都市から離れたところにはあまり行っていないという特徴があります。(阿蘇・唐津・秋吉台は違う)
なお、行き帰りは一家で同行なのですが、先での観光地めぐりはどうも母だけのことが多かったような気もします。
父は車も運転できませんでしたので、どこに行くにも列車利用、行った先では観光バスやタクシー利用でした。
当時はそれでも結構いろいろなところに行けたようです。
バスの本数も多かったのでしょうか。
行ったところの多くはその後再訪しており、その時の記憶か後の記憶かが分からなくなっていることも多いのですが、熊本城の石垣に弟と二人で登ろうとしたり(もちろんほとんど登れませんが)、阿蘇山に行った時にちょうど雨上がりで雲の切れ間から太陽光線が放射状に漏れ出すところに驚いた記憶は間違いなくその時のものです。
他にも北九州の若戸大橋のおそらく開通から間もないところに行ったり、関門海峡の歩道トンネルを歩いて渡ったりという記憶はそれ以降は行っていないので子供の時のものです。
観光というのではありませんが、博多の祭礼として有名な祇園山笠は各町内に置いてある飾り山は見に行きました。
7月15日の舁き山は子ども連れが行けるような時間でもなく、人込みで危ないということで全く行こうという話にもならなかったので、あのような勇壮なことが行われているということは大人になるまで知りませんでした。
(その3 その後 に続く)