爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日中漂流 グローバル・パワーはどこへ向かうか」毛里和子著

中国の発展は続き日本を追い越して世界2位の経済規模となりました。

そのためもあるのか、日中関係は悪化の一途をたどり危険な状況とも言われています。

現代中国論が専門の早大名誉教授の毛里さんがそのような状況を振り返り、問題点を探り解説するということを行っています。

 

日本と中国が国交回復したのは1972年でした。

それから40年ですが、その間はだいたい10年くらいごとに大きくその関係が変わっています。

それを最初に区分して示されています。

第一期 1970年代 戦略的友好期 中国側は対ソ・対米の関係を考えて日中関係も戦略的に考えていました。それを支えたのは、戦時期の日本の侵略はごく少数の軍国主義者と犠牲になった一般の日本人は別と考える「二分論」でした。

第二期 1980年から1990年代半ば ハネムーンの15年 中国側が近代化と経済成長を目指す方向に180度転換したため、日本のODAを始めとする支援も盛んとなった。

第三期 1990年代半ばから2010年 構造変動期 中国の経済成長が進み逆に日本は経済低迷となった。日本側に中国への警戒心、脅威感が高まり中国側では二分論への不満が高まった。

第四期 2010年以降 新たな対抗期 2005年の大規模な反日デモ以降、尖閣諸島をめぐる争いも強まった。

 

本書第2章から第5章はこれらの各時期を詳述しています。

 

1972年の日中国交回復では、中国側が持ち出した二分論は日本側にとっては好都合でした。

また対日賠償請求をしないという中国側の決定も助かったのですが、これは台湾も賠償を請求していなかったことや、せっかく決めた二分論に矛盾するといったところからの毛沢東の判断だったようです。

ただし、日本側もその請求放棄にきちんと謝意を表すと言うことが無く、また中国側でも政府以外にはまったく公表もしていなかったということで、後になって火種となります。

 

2005年の激しい反日デモのあと、日中両国政府は相互に首脳訪問を繰り返すなど事態の収拾を図ります。

そのような「関係の制度化」ということは外交関係においては必須のことであり、アメリカはそれを確実に実施していくことが国の方針ともなっているようです。

しかし日本ではそういった取り組みというものが上手くできず、結局は首脳同士の個人的関係かのように作り上げてしまい、靖国参拝などの事件が起きるとあっという間に関係も悪化するという不手際を繰り返しています。

つくづく、外交方針というものが無い国のようです。

 

中国は1949年の建国以来、対外軍事行動を8回行っています。

1,朝鮮戦争への参戦

2,金門・馬祖島砲撃

3,台湾海峡危機

4,インドとの国境紛争

5,ソ連との国境紛争

6,南ベトナムとの西沙諸島をめぐる軍事紛争

7、ベトナム制裁のための限定戦争

8,台湾海峡に向けたミサイル発射

このうち、本書では1,7,8について詳述し、特に中国のリーダーが「力の行使」ということをどういう風に認識しているかということを論じていきます。

中国は政府・党・軍部というものが鼎立しておりそのパワーのバランスで物事が決まってくると言われていますが、その意思決定の過程というものもほとんど明らかになっておらず、外からの研究者には非常に分かりづらいもののようです。

しかし、どうやら中国リーダーは軍事行動は絶対に避けるという意識はあまりなく、軍事的手段の方が有効と判断すればそちらに向かいやすいようです。

つまり、「国境を越えた軍事行動」であってもそれはあくまでも外交の延長、政治の延長という意識が強いのではないかということです。

 

最後に中国が世界の覇権をとる「新帝国」となるかどうかについて。

世界の覇権をとるためには、他国の主権を脅かすこともあるのですが、それ以上に自らの主権を世界秩序のために自ら制限することが必要になります。

中国はまだまだ「主権国家教」とも言える思想に浸かり切っていますので、その間は覇権を唱えることは無理だということです。

 

中国側にも危険な点は数多くありそうですが、それ以上に日本の問題点の多さも考えておくべきでしょう。