爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より、「『日韓関係論』への寄稿のお願い」

内田樹さんへ、出版社の晶文社から「日韓論アンソロジー」の企画の編著者となるよう依頼があったそうです。

それをこころよく?受諾し、内田さんからの「寄稿のお願い」の文章を晶文社が選んだ執筆者に送るそうです。

 

その寄稿願いの文章を掲載しています。

blog.tatsuru.comこの「寄稿願い」の文章の中では、日韓関係は二千年もの間の経緯があるので「現状に問題があるというよりは、これが”答え”だ」というのが、うまく言い表されているものでしょう。

どこに問題があるというような簡単な解決法があるわけはありません。

 

したがって、「どのような立場からのものであっても、”快刀乱麻を断つ”といったようなタイプの言説は無効である」のも確かでしょう。

 

「日韓関係を解決する秘訣をご教授ください」とはお願いできないというのが本当のところでしょう。

その中で、いろいろな面からの指摘をしてもらい、徐々にでも進んでいくということが大切なのでしょう。

 

 

私のところに寄稿願いが来るはずもありませんが、ここらで一つ日韓関係についての考えを披露しておきます。

 

1965年の日韓基本条約、そしてそれに関連して請求権協定が結ばれたのは国家間の条約すなわち契約のようなものであり、これがある以上日本政府の正当性は国際法上はゆるぎません。

しかし、慰安婦や徴用工などの被害者補償については、いくら当時の韓国の軍事政権、朴正熙大統領が自分たちに任せて日本は直接は何もするなと言ったからといって、朴が何もするはずはないということは、日本政府も感じていたはずです。

したがって、彼ら被害者の中に日本に対する反感が生まれるのも当然であり、避けることはできないことでしょう。

 

ここで、長い歴史と外交術に長けた中国文化のやり口を見てみましょう。

かつて、まだ今のように資本主義的成長もままならない当時の中国は、アメリカや日本などとも表向きは対立をしていました。

しかし、その相手は「米帝国主義とその走狗の日本政府」であり、「日本人民」は別のものとして人民同士の連帯を求めました。

もちろん、それは外交上のテクニックの一つであり、政府と人民は別のものではなく一体なのですが、それを口実に友好的なポーズを取ることは可能でした。

 

これを日韓関係にも応用したらどうでしょう。

もちろん国際法上有効な条約に違反した韓国政府は、いかに当時の政権との立場は違うとは言え同じ国の連続した政権としての責務の放棄をするかのような行為をしてはいけないし、日本もそれを改めさせる必要はあります。

 

しかし、韓国人民、とくに日本の植民地支配下で被害を受けた人々は政府とは別、韓国人民との連帯を韓国政府は放っておいて追求するというのは悪い方法ではありません。

韓国の政府は攻撃しながら、民衆をこちらの側に吸引するというのは、有効な方法のように見えます。

ある程度の資金は必要でしょうが、アフリカや中東などほとんど何の関係もない国にばらまくよりは、はるかに有効な使い道ではないでしょうか。