爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より、「公共と時間」

内田樹さんの「内田樹の研究室」、なかなか深い内容が多く(深すぎてついていけない場合も多いですが)今回の「公共と時間」というのも考えさせられるものでした。

(まあ、考えれば何とか理解できる程度でちょうど私に合っているとも言える)

 

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導入部は時期の迫っている大阪の住民投票についてです。

維新の会が目指している大阪都構想の一環となる、大阪市の廃止ということを問うものですが、その賛否の議論のほとんどは「コスト」についてのことであるようです。

九州の片田舎までは細かい情勢が伝わってきませんが、内田さんは神戸在住ですので肌に伝わってくるのでしょうか。

 

今では企業のほとんどがごく短期の収支しか見なくなり、長期というのが5年先などと言うことになってしまいました。

国も株式会社のようになり、そのような短期の見通ししかできなくなっているようです。

 

しかし、自治体や公共というものはそのような短期の見通しだけでは困るというのがこの文章の主題です。

 

「それなしには人間が集団的に生きていけない社会資本」のことを「社会的共通資本」と呼ぶそうですが、それには次の3つがあります。

自然環境、社会的インフラ、そして社会的制度です。

自然環境というのは山河のことです。大気、海洋、河川、湖沼、森林・・・そういうものです。その豊かな恵みの上に僕たちの社会制度は存立している。社会的インフラというのは、上下水道、交通網、通信網、電気ガス水道のようなライフラインのことです。制度資本というのは、行政、司法、医療、教育などの制度のことです。

これらの社会的共通資本は簡単に変わるようなものではなく、安定していることが必要です。

自然環境には比較的そのような意識が持てるでしょうが、「制度資本」にはあまりそういった意識が希薄なのではないでしょうか。

 

そこに付けこんで?、コストばかりを言い立てて変化を求めています。

さて、大阪市民はどのような判断をするのでしょうか。

 

そして、まだ住民の判断を求めているのはマシな方かもしれません。

大きな騒ぎを起こさないまま勝手に変更されている公共資本が多いのかもしれません。