前にも書きましたが、どうもこの盆休み周辺になるとかつての「寝台特急」ブルートレインのことを思い出してしまいます。
ブルートレインはすでに運転を止めてしまいましたが、1958年に特急あさかぜの運転開始から、2015年に全廃されるまで夜行寝台特急として全国を走り回っていました。
私が良く利用したのは、父親が博多在勤中であった1962年から65年までと、私が神奈川県在住で家内の実家の熊本に帰郷していた1985年から1996年までの間です。
私が熊本赴任中に結婚し、1年後に神奈川県に転勤となりましたが、家内の実家に年1度は帰郷するということにしていました。
しかし、1985年に上の子どもが産まれたすぐ後に日航機墜落事故が発生、家内は極度の飛行機恐怖症となってしまい、熊本への帰郷も電車で行きたいということになってしまいました。
東京から熊本へのブルートレインは、当時は「みずほ」と「はやぶさ」がありました。
ただし、「みずほ」は東京から長崎・熊本行(鳥栖で分割)、「はやぶさ」は熊本止まりの車両を切り離して残りが西鹿児島行きとなっていました。
家内の実家は八代市近郊でしたので、みずほに乗ってしまうと熊本からさらに各駅停車の列車に乗り換えなければならず、できればはやぶさの鹿児島行きに乗りたいところでした。
はやぶさの車内も、前よりの西鹿児島行きの車両には鹿児島方面への乗客が多く、後よりの熊本止まりの車両とは雰囲気が違います。
九州以外の人には分かりにくいでしょうが、熊本と鹿児島の言葉の差は想像以上に大きく、鹿児島人ばかりの中に入ると異国情緒?を感じたものです。
しかし、まだ当時は寝台列車に乗る人もかなり居たようで、切符発売直後に駅のみどりの窓口に行って購入しようとしても売り切れということも多く、何とか確保ということで苦労したものです。(まだネット販売などというものは全くありません)
みずほで熊本までということもありましたし、「さくら」で博多まで来て特急に乗り継ぐとか、新大阪まで新幹線で行って、新大阪熊本間の「なは」を利用したということもありました。
子供がまだ小さかったので、飽きさせないように色々と本やおもちゃを用意するとか、食べ物飲み物も好きなものと持っていくとかの準備もありました。
それでも大した事件もなく、無事に行ってくれました。
今は30代半ばですが、あの年代でブルートレイン乗車体験が豊富というのは珍しいものでしょう。
寝台に子供だけで寝るというのは危険すぎたので、親が一人ずつ抱えて眠るといったものでした。
それでも台風や水害が多い時期ですので、何度かトラブルもありました。
東京から乗車予定が、台風の影響で在来線の運転が停止し静岡発に変更、急いで新幹線で静岡に向かい無事乗車できたということもありました。
静岡駅などと言うところは降りたことも無かったのですが、それで一度だけ降りて駅ビルのレストランで夕食を食べました。
逆に、上りで帰ってくるときに水害で小田原以東が運休、小田原で運転打ち切りとなったので、小田急でぐるっと回って帰ったということもありました。
今では新幹線が便利となってしまいました。
それでも東京まで行こうと思うと博多乗り換えでも乗車時間だけで7時間。
それくらいなら一晩かけて寝て行けた方が楽だと思うのですが。