爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

どこにも行けないから昔の旅の思い出、高校2年の修学旅行(1971)

感染者数もかなり減ったとはいえまだ旅行などできる情勢でもなく、どこかに行きたいという思いが募るのはどなたも一緒だと思います。

 

先日、高校1年で行った軽井沢旅行について書きましたが、今度はその翌年の修学旅行の本番について。

行ったのは1971年10月、実にちょうど50年前のことになります。

 

行程は、(細かいところは覚えていませんが)

1日目 藤沢駅集合、列車で小田原駅、新幹線乗り換えで京都まで。そこからバスで奈良に入り宿舎へ。

2日目 午前中はグループで自由行動。私たち変わり者グループは人混みを避け?西ノ京秋篠寺へ。

午後は集合してバスで高野山に向かい宿泊。

3日目 高野山をバスで出て和歌山港へ。フェリーで徳島へ。そこからバスで鳴門海峡を見た後高松の宿舎へ。

4日目 高松からバスで金毘羅山。その後高松に戻り船で小豆島へ。寒霞渓など島内観光し宿泊。

5日目 小豆島より船で姫路へ。姫路城観光後、列車で新大阪に向かいそこから新幹線で帰る。

 

当時はまだ新幹線も新大阪まで、岡山開業も1972年3月と言うことで姫路からは普通列車で新大阪に向かいました。

カメラも持参し写真はかなり撮影したのですが、「鉄」の魂は生きており、名所古跡を

多数見ていたはずですが、その写真より沿線で見かけた鉄道車両の写真の方が多いという有様です。

フィルムは箱に入れてしまっておいたのですが、長年の保管で相当傷んでおり、変色や傷も目立ちますがまあいいか。

 

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おそらく新幹線の車窓から撮影したものでしょう。

豊橋駅付近から見た飯田線の旧型国電と思います。

車体色こそスカ線様のクリームと紺ですが、かなり古い車両です。

 

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寺院もちゃんと見ていましたという証拠写真

西ノ京の寺だと思うのですが、まったく記憶なし。

 

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それよりもこちらの方に興味津々。

近鉄の旧型車両でしょうか。

 

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徳島側の展望台から見た鳴門海峡の渦潮です。

今ではこの上に鳴門海峡大橋が通っています。

数年前に訪れ、この展望台にも登り、何か見たような景色だなと思って写真を調べたら高校の修学旅行でも行っていたということが判りました。

 

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何の写真かよく分からないと思いますが、香川の金毘羅宮の上から見た琴平町内の様子です。

撮りたかったのはもちろん画面中央の鉄道車両琴電の列車でしょうか。

 

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最終日に訪れた姫路城、今では平成の大修理も終わり真っ白になったようですが、50年前の姿です。

天守閣の最上階まで登ったようですが、あまり覚えていません。

しかしまさか娘がこの町で暮らすことになろうとは。

 

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帰りの車窓より、急行「玄海」の雄姿をとらえていました。

玄海は大阪と九州を結ぶ急行として1950年代から走っていたそうですが、1975年の新幹線博多開業で廃止されました。

その最後の頃の姿です。

 

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最後にはこんな写真も。

場所はまったく憶えていませんが、やはり車窓からでしょう。

運転席窓の下に見れる札(区名札と言うそうです)は「加」に見えますので、加古川でしょうか。

この機関車の記録を見ても、当時は加古川気道車区所属となっていますので、間違いないでしょう。

(しかし、こういったデータも調べられるとはすごい)

 

規則も緩い学校だったので、夕食後の外出も自由、奈良では奈良駅まで行って硬券の入場券を買ったり、高松では抜け出して讃岐うどんを食べたりということをしていました。

 

以上、学校の修学旅行を利用して鉄道写真撮影旅行にしてしまった記録でした。