爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「海を渡ったスキヤキ」グレン・サリバン著

著者のサリバンさんはハワイ出身ですが、日本にも滞在経験があるというアジア文学研究者です。

子どものころに母上と訪れた日系人の経営する食堂での、いなりずしや照り焼きビーフの思い出は懐かしいもののようです。

 

最近では寿司ブームがアメリカ中を席巻しているということは有名でしょうが、アメリカと日本の和食との関係は幕末に始まり、その中には苦く厳しいものもありました。

その概要を、様々なエピソードを交え詳細に語っています。

 

アメリカ人が和食と最初に遭遇したのは、黒船のペリーの訪問でした。

ペリーが武力をちらつかせて日米和親条約を結んだ際に、一行を迎えて宴席に出したのが幕府が贅を尽くしたと思った会席料理でした。

しかし、この料理はペリー一行にはまったく口に合わず、物足りなかったもののようです。

その後、ヨーロッパも巻き込んでの「ジャポニズム」ブームとなり、料理も紹介されるのですが、エキゾチックな雰囲気で行き届いたサービスで出されることは称賛されたものの、その味についてはほとんど理解できないものでした。

 

その後、「中国人排斥法」によって中国人労働者が減り人手不足となったために日本人が労働者としてアメリカに渡ります。

彼らは食生活もままならぬ劣悪な環境の中で、何とかやりくりして食べ物を作っていきましたが、そこで生まれた料理が「だんご汁」でした。

そして、鉄道建設などの現場から都会にも広がっていった日本人たちは、日本人町を形成し食堂も開くようになります。

その顧客は大半は日本人でしたが、白人も徐々にその味に慣れていくようになります。

しかし、今度は日本人労働者が目障りになり、日本人排斥の動きが強まります。

 

その動きが最も強まったころに日米開戦となったために、日系人は国籍のいかんに関わらずすべてを奪われ収容所に入れられます。

そこも食生活は最悪だったのですが、徐々に色々と工夫して様々な料理を作り出しています。

「ウィーニー・ロイヤル」と「スパムむすび」はその収容所の中で生まれたものでした。

収容所から解放された時はこんな食べ物はもう二度と食べたくないと思ったのですが、それでもその後時が経つともう一度食べてみたいと思う人も出たようです。

今でも「アメリカ流和食」のメニューとして食べる人も多いようです。

 

しかし戦争も終わり、徐々に日本人への敵愾心も弱まってくるとまた日本の料理への興味も上がってきます。

戦前に日本を訪れた人々、そして戦後に駐留軍として来日した人々などを魅了したのは、「SUKIYAKI」でした。

固い牛肉をほとんど何の味付けも無く食べるだけのアメリカの食事と違い、柔らかい牛肉に砂糖と醤油で味付けしたスキヤキは彼らの心に残り、アメリカでもそれを食べたいという思いを募らせました。

まだ「日本食レストラン」というものを開くほど社会情勢が良くなっていなかったため、個人の邸宅などでスキヤキパーティーを開くという形で復活していきました。

 

さらに日本での鉄板焼きを取り入れた「ヒバーチ・ブーム」も起きます。

全米にチェーン店を広げたロッキー青木の「紅花」も人気となりました。

そして、日本食ブームが爆発的に広がったのは「寿司バー」でした。

ここにはようやくアメリカ人も気づいた「健康ブーム」も関係してきます。

今は中国人などが開く和食店もあちこちにできるほどの和食ブームとなっています。

 

しかし、その過去には厳しい状況で苦しみながら食べ物を作り出していった日系人の苦労があったことは覚えておきたいものです。