このところ、日本食(和食)を礼賛する風潮になっています。
和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたということもそれを強めているようです。
しかし、実際の日本の食というものはその「和食の特徴」とはまったく逆とも言える状況です。
「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重」「栄養バランスに優れた健康的な食生活」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」「年中行事との密接なかかわり」などと言われても、それらを捨て去って世界中の美味しそうな食べ物を貪欲に取り入れていくのが日本の食のように見えます。
著者の畑中さんは、近現代の日本の食を情報誌などの編集者として調べていき、その後食文化研究家となったということで、このような「和食」とは相容れないかのような日本の食文化というものについては、よく知っているがために疑問も持っているようです。
日本の食というものについて、明治の頃からの様々な歴史を振り返り、「メイドインジャパン」の食を探っていきます。
いつの間にか、「国産」というのが最高のブランドのように扱われています。
定食屋などでも「当店のご飯はすべて国産米を使っています」と宣伝されています。
実は、自給率がもっとも高いはずのコメでもかなりの量の輸入米が流通しており、特にコストを絞る飲食店ではかなり使われているようです。
そんな中で、輸入米に不安を覚える消費者の心を見透かして「国産米」アピールがされています。
かつては、工業製品で「メイドインジャパン」が質が良くて壊れずしかも安いというブランド力を発揮した時代がありました。
しかし、製造業の凋落は激しく今では韓国産や中国・台湾産のものが多く流通するようになりました。
ところが、食材だけはいまだに「メイドインジャパン」が安全マークであるかのように受け入れられています。
これには食糧自給率が極めて低くなったことも関わります。
多くの食材は輸入であることが普通となってしまいましたが、いまだにその品質に対する不安感は根強いようです。
太平洋戦争敗戦のあと、農業生産は壊滅的に打撃を受け、それまで大量に移入していた旧植民地などからの食料輸入も途絶え、さらに海外から多数の軍人や引揚者が帰国したことで、食糧事情は極めて悪化しました。
1946年の都市部住民の摂取カロリーは実際には1200キロカロリー程度であったようです。
GHQに食糧輸入を申請したのが1945年10月だったのですが、その時には拒絶されました。
世界的にも食糧は不足していたためです。
しかし、翌年になると各地で食糧を求めるデモが相次ぎ、社会不安が起きました。
そのため、GHQも危機感を持ちようやく食糧供給の援助を開始しました。
ところが、その後アメリカ国内の穀物生産が回復していくとその消費先として日本が使われることになります。
それは、小麦を中心としてアメリカ産の農産物を大量に輸入させることでアメリカ農業の繁栄を図るものでした。
その結果、日本人の食の洋風化というものが加速されることになります。
もちろん、朝鮮戦争特需からの経済復興で日本人の消費力が回復してきたことも大きく、肉や酪農製品などを購入することも多くなったことも食の洋風化の大きな要因となります。
さらに、こういった食でタンパクや脂肪の摂取量が増えることはかつての栄養改善にもつながるとされました。
その後も続く日本の食生活の関する歴史の数々がいろいろと解説されていきますが、詳述はこの辺にしておきます。
項目だけあげておきますが「牛肉の市場開放」「粗食ブーム」「食中毒史」「狂牛病パニック」「食糧自給率」といったものです。
日本の食文化というものが、非常に多くの出来事から成り立っているということが分かりますが、あまりにも多すぎて本1冊では足りなくなるようです。
そのためか、ちょっとあちこちに話が飛び分かりづらくなってしまったかもしれません。
本3冊分くらいに別けても十分に書くことはあったようです。