爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「名作裁判 あの犯人をどう裁く?」森炎著

小説や映画などで、犯罪を取り上げて描写するということは頻繁に行われています。

名作と言われているものでも数多く登場していますが、その結末はさまざまで裁判で裁かれる場面もよく目にするところです。

ところが、時代も国も異なるとその刑罰がかなり違うということもあり、またその小説などの作者の知識不足から現実とは違う刑罰となっている例も見られるようです。

 

そういった例を、古今の名作小説・映画から取り出して裁判官の経験もある著者が現代の日本の裁判例と比較して見せてくれます。

 

最初に登場するのはドストエフスキーの名作「罪と罰」です。

貧乏な学生ラスコーリニコフは、金貸しの強欲な老婆を殺して金を奪っても良いはずだという想いにとらわれ、実行してしまいますが、その場に居合わせた老婆の妹も殺してしまいます。

彼は逮捕され取り調べの場で奪った品物を門の内側の石の下に隠したことを白状します。

この自供が「秘密の暴露」にあたり、裁判の際には最重要になります。

自白のみを証拠とすることはできませんが、その中にこの秘密の暴露があり、犯人でなければ知り得ないことを話すということで間違いない犯罪の証明となります。

ラスコーリニコフは現在の日本の裁判例では強盗殺人、二人殺害で約70%の確率で死刑になるそうです。

 

ロバートワイズの名画「ウエストサイド物語」はその曲が広く親しまれていますが、そのあらすじは不良少年の抗争で、犯罪だらけの内容です。

この映画に出てくる殺人事件は、言ってみれば「ふつうの殺人」と見なされます。

殺人にふつうも何もないだろうと思われますが、それでもやはり「標準的な殺人」を決めておかないと刑の重さを決める際に支障が出るようです。

一応、「ふつうの殺人事件」と見なされているのが1,殺された被害者が一人、2,衝動的偶発的に行なわれた、3,しかしはっきりとした殺意があった、4,被害者に落ち度がない、5,被告人にさしたる前科がない。というものだそうです。

そして、現在の相場?では懲役13-14年くらいになるとか。

これがある程度決まっていないと、裁判官(そして今では裁判員)の判断にずれが出てしまうそうです。

 

アルベール・カミュの名作「異邦人」は、主人公ムルソーがアパートの隣人とアラビア人との間のいさかいに首を突っ込み、その後浜辺でそのアラビア人と出会って銃で撃ち殺してしまい、裁判では「太陽のせいだ」と答えたために死刑になってしまいます。

ところが、実際は浜辺で会った際にはアラビア人の方が先に匕首を取り出し、襲い掛かろうとしています。

このためムルソーが持っていた銃で撃ったのですが、これは「過剰防衛」となります。

正当防衛の範囲ははずれますが、それでも現在の日本の裁判ではせいぜい懲役6-7年となるところです。

カミュはその裁判の描写で、ムルソーがいかに不道徳な人間であるかを強調しています。

母親が死んだ日にガールフレンドと映画を見て、笑い転げ、さらに彼女とベッドインし、死んだ母親の年齢も忘れており死に顔を見ようともしなかったと言っていますが、刑事裁判で被告の人間性がどうこうということは実際はまったく関係ありません。

刑事裁判では「人を裁くのではなく行為を裁く」のであり、カミュは刑事裁判の場を道徳説教の場だと勘違いしていたということです。

カミュは「不条理の作家」と言われていますが、カミュが描く裁判には真実が少しも無いというのが著者の判定でした。

 

他にも裁判をめぐり結構面白くて参考になる話がいろいろと出てきました。

何かのためになるかも。