1985年に熊本県松橋町(まつばせ)(現宇城市)で起きた殺人事件、いわゆる松橋事件で実行犯として起訴され懲役が確定し、服役後も再審を求め続けてきた宮田さんの訴えが認めれれ、再審開始となり検察側も新たな証拠提示ができないため、ほぼ無罪となる見通しが強くなりました。
宮田さんは取り調べ段階で自供をしたものの、公判途中からは一貫して無実を主張してきました。
無理な自白強要が存在したことは容易に想像できます。
そして、それでも裁判で有罪となったということで、昭和も最後期の時代でも自白偏重の裁判であったということが分かります。
あまりにも長い真実への道であり、宮田さんはすでに高齢となっていますが、これには反省をまったく見せない検察の責任も大きいものでしょう。
さらに、こういった冤罪事件が明らかになるたびに感じることですが、「では真犯人はどこにいるのか」ということです。
警察検察が冤罪を作り上げた裏には、逮捕もされず服役もせずに済んだ真犯人が居たはずです。
冤罪が明らかとなり犯人だと言われていた人が無実と判ったとき、もともとの事件の被害者遺族はその恨みをぶつける先すら失われてしまいます。
これも、警察検察が誤った判断で真相を明らかにすることを怠ったためであり、冤罪被害者と同様に、事件被害者にも多大な苦しみを与えたということでしょう。