爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「敗北を抱きしめて 下」ジョン・ダワー著

太平洋戦争での日本の敗戦から、占領時代に何が起きたのか、豊富な資料と洞察力で明らかにしたダワーさんの「敗北を抱きしめて」上巻に続いて下巻も読みました。

 

上巻では、敗戦当時の人々の心情や生活などをまとめていましたが、この下巻では占領軍と天皇が何をしたのか、ペテンだらけの東京裁判、そして占領政策が大転換してそれが現在まで影響を及ぼしているといった点について書かれています。

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第4部は「さまざまな民主主義」と題されていますが、章ごとの副題を見れば言いたいことは明らかです。

天皇制民主主義、憲法的民主主義、検閲民主主義。

占領軍の占領政策の都合で天皇の戦争責任は免責と決められ、それに沿ってすべての政策を調整していったのが明確につづられていきます。

また日本国憲法GHQの一部の人々によってわずかな期間で作られた過程。

それはその担当者たちの理想を形にしたものでした。

しかし、占領政策共産主義の圧力によって完全に形を変えた時にはその憲法が邪魔になりました。

吉田茂朝鮮戦争に日本人を30万人従軍させるように強要された時にその憲法を十分に使ってアメリカを翻弄しました。

また、検閲のひどかったことは戦争中の日本政府以上だったかもしれません。

最初は封建的な記述やかつての愛国主義などが対象だったのですが、これも逆コースとなるにしたがって左翼的な記述なども含めて広範囲に検閲の網を張るようになります。

 

第5部では戦争犯罪法廷、いわゆる東京裁判について記述されています。

BC級裁判はこれまでも裁かれていた一般的な戦争犯罪、捕虜虐待や民間人虐殺といったものを対象とし、東南アジアなどの現地で開かれましたが、多くの日本人が死刑となったもののまともな記録が残っていない場合が多く、実態が不明確な場合もあります。

それに比べ、A級戦犯と呼ばれた人びとを裁く東京裁判は、これまでの戦争犯罪法廷とはかなり異なるものでした。

一歩先に行われたドイツにおける同様の法廷、ニュルンベルク裁判ではナチスがいかに「平和に対する罪」を組織的に犯していたかを立証し、裁きました。

しかし、日本ではそのような「平和に対する罪」を誰が犯していたのか、非常に分かりにくかったのです。

そもそも逮捕され起訴されたのは戦争中の政府や軍部の指導者ですが、彼らが組織的に平和な外国に侵略していったのかどうか立証は困難です。

 政府の統率力などほとんど無かったのは明らかですが、大統領の権限が非常に強いアメリカ人には政府が機能しないということなど信じられなかったのでしょうか。

 

実際にA級戦犯として誰を起訴するかということも、占領軍の政治的恣意が働いたということは明らかです。

ジョセフ・キーナン首席検察官自身が冒頭陳述で「被告たちはある意味で一つの階級あるいは集団の代表であり、個人に対しての興味はない」と明言していました。

誰かの戦争犯罪を裁くということではなく、日本の政府、軍部としての集団を裁くということであったのでしょう。

 

東京裁判の判事にはアジア人からも三人加えられました。

もともと判事は9人でその中には連合国の一員としての中国人1人を含むはずでしたが、植民地の事情が左右してインド人とフィリピン人が一人ずつ加わりました。

その時点ではどちらもまだ独立を果たしておらず、非独立国を代表する形になりました。

そして朝鮮人東京裁判にはまったく関与することはできませんでした。

そのことが、この裁判が勝者の裁きであり大きな変則性を持つことを示していました。

この戦争はアジアの独立した自由国家の間で戦われたわけではなく、植民地主義を掲げる大国の間で戦われたということです。

インド人のパル判事はその矛盾について告発しました。

彼の意見はようやく占領終了後になって発表されましたが、パルは日本の行為を許したわけではありませんが、戦争は日本の特殊な侵略性向にあるのではないということは主張していました。

 

最後の第6部には日本の再建というものが占領政策からどう影響されたかについて書かれています。

驚異の復興を遂げたと言われる戦後日本ですが、そこにも占領政策が大きく影響していました。

さらに、朝鮮戦争が特需をもたらし復興の引き金となったのも事実です。

しかし、その歪みというものも十分に受け継いだままのものであったようです。

 

非常に深い洞察で書かれた日本戦後史でした。

 

敗北を抱きしめて〈下〉― 第二次大戦後の日本人